2015年9月23日水曜日

カランダーシのロシア旅②(ラチョフ氏宅を訪ねて)

※以下はラチョフ氏の著作権所有者トゥルコフ氏の許可をいただいて書かせていただきました。

ラチョフ氏の仕事場だった部屋
モスクワに来て2日目。絵本「てぶくろ」や「マーシャとくま」などの画家、故エフゲーニ・ラチョフ氏の仕事場を訪ねた。カランダーシが絵本「うさぎのいえ」を出版してから2年。遅ればせながらのご挨拶が目的だ。そして、この訪問は、ラチョフ氏をより深く知る大変意義深いものとなったと思う。それと、これは余談めいた話になるのだが、この訪問にはちょっとした後日談があり、そのことも含めとても印象深い思い出となっている。

 9月といえども、ロシアはすでにもう寒かった。気温は16度あたり。コートを着て、薄手のマフラーを首にまいて轟音と共に地下鉄を降り立ったのは午後の2時。ラチョフ氏の息子であり著作権管理者であるトゥルコフ氏がにこやかに出迎えてくれた。メールではたくさんやりとりはしてきても、お会いするのは初めて。まずはご挨拶。お会いできた喜びを伝える。地上の街に出てしばらく、背の高い近代的なオフィスビルがあり、大きな通りにはたくさんの車が行き交っている。トゥルコフ氏は、建物の裏手の静かな道を選んで自宅まで案内してくれた。

壁に飾られた作品
 ソ連時代、芸術家のために建てられたという煉瓦作りの重厚な集合住宅。一階には展示会もできるスペースがある。無骨なエレベーター、人の気配を感じない廊下。古い石の建物のひんやりした空気感にちょっと怖気づく。でも、ご自宅の扉を開けて招き入れられたとたん、棚に飾られているラチョフ画の絵の動物たちが目にとびこんできた。「ああ、こんにちは!」一気に気持ちが緩む。

 通していただいた、ラチョフ氏が使っていた仕事場をそのまま使っているという部屋には、大きな窓があり、部屋の中心にラチョフ氏が仕事をしていたというどっしりとした机が置いてあった。その背面や窓側の壁面の本棚には、ラチョフ氏の手がけた本がたくさん並んでいる。カランダーシ刊の「うさぎのいえ」も表紙を見せて飾っていただいていた。恐縮。でも嬉しい。

 通訳をお願いしているMさんを交えて、まずは、その大きな机の上に積み重ねて置いてある本を見せていただいた。次々とページをめくる。ああ、このお話、知っている!これは、どんなお話なのかな。このねずみのお話は面白そう。絵本は一瞬で読み手の心を掴み、異国から来た緊張気味の旅人の胸襟を開かせてくれた。

迫力のある動物描写
 どこの何の話がきっかけだったのか覚えていないが、ラチョフ氏の生い立ち、生涯についてのお話を、温かい紅茶をいただきながらうかがうことになった。幼少時、シベリアの祖母に預けられたいたが、14歳の時、ひとりはるばる母のもとまで列車の屋根に乗るなど苦労して帰ってきたこと、その時助けてくれた兵士のこと、15歳で港で働きだしたこと、チフスにかかったこと、その後、芸術の道を歩み始めたこと、戦争で前線にいたけれど戻され、芸術家であることから新聞の仕事をしていたこと、軍での昇進は望んでいなかったこと、そして終戦。この世で一番恐ろしい動物は人間であると思ったということ。(シベリアで野生の動物のすぐそばで育ったラチョフ氏。一般人よりも動物の恐ろしさや狡猾さなどを知っていたはず。そのラチョフ氏が言ったこの言葉は重い)
 
 知っている話、知らない話、両方あった。でも、トゥルコフ氏はそれはどっちでも構わなかったのだと思う。父親の作品だけではなく、生きてきた人間としてのラチョフ氏のことをよく知ってほしいという思いが伝わってきた。

 トゥルコフ氏は、ラチョフ氏と血のつながりはない。母親の再婚相手がラチョフ氏であり、兄弟がいたが、亡くなり、子どもたちは独立して他で暮らしており、今はひとりでこの家に住んでいるという。地上の大きな通りではたくさんの車が行き交っているが、この部屋にはその騒音は届いてこない。昔からきっと変わらない静謐な時の流れを感じる。芸術家である父親の仕事を包んで支えたであろうこの静けさをトゥルコフ氏もまた愛しているのだろうと思う。そう、ここに来る時、騒がしい道を避けていたことからもそれはうかがえる。

 トゥルコフ氏はラチョフ氏に「一度も、どなられたことはない」そうだ。優しい人だったと言う。そして、仕事への真摯な取り組みをつぶさに見ていたので、言うことをきかざるをえなかったと語ってくれた。それは、具体的にはどういうことなのか。ある質問をしたことで、よく理解することができた。

 それは、動物描写についての質問だった。「ラチョフ氏は何か写真や絵のようなものを見ながら、描くということはあるのですか」とたずねたのだ。それに対してトゥルコフ氏は「いいえ、手で覚えているからそんなことはしません」と答えた。

 手で覚えている。それは、何度も何度も描いて修練を重ねることにより、手が覚えるので、動物のどんな動きでも(何も見ずに)描くことができるということ。対象の骨格、筋肉、毛並み、眼差し、そして感情までもが描いた時に「本物」であるために、手で覚えるまで、描きこむことなのだ。動物挿絵画家の第一人者の真髄。才能だけではない、そのひたむきな仕事への姿勢を、トゥルコフ氏は傍らで見てきたのだ。

目を見張った挿絵
 そして、今回、私は、今まで知らなかったラチョフ氏の作品を見る幸せに恵まれた。ひとつは、アヴァンギャルド的表現をしていた頃の絵。抽象化された表現はしかし、ラチョフ氏の本来の個性を生かすものではなかったのだろうと感じた。それから、今回の訪問で最も印象に残ったのは、彩色のない緻密な線画の挿絵の仕事。特にこの一枚。生きている動物をそのまま絵に閉じ込めたような、瞬間を見事に表現していて圧倒されてしまった。

 ラチョフ氏のこういった挿絵の仕事の中で、最近再評価され復刻されたものを見せていただいた。珍しいSFを手がけた挿絵だ。そこでは、恐竜も描いていて、それがまた素晴らしいのだ。動物民話の挿絵とはまた違った絵の表情を見ることができたのは発見だった。

 話は尽きなかった。(部屋に飾られている流木アートについても少し話しをうかがったが、このブログではまた別の機会に。)でも、おいとまをする時間となり、玄関へ行き、コートを着た。挨拶をかわし、私とMさんは大きな煉瓦作りの建物を出て、地下鉄の駅に向かった。そして、しばらくして、私はマフラーを忘れたことに気づいたのだった。電話をして引きかえすと、途中まで、トゥルコフ氏がマフラーを持ってきてくださっていた。

「忘れ物をするということは、またその場所に戻ってくることを意味します。また、あなたはまたここへ来るでしょう」という言葉に私は肩をすくめ、お詫びをし、再度さよならをして帰路についた。今回の訪問。すでに亡くなっているラチョフ氏とは会えないのは仕方がないのだが、トゥルコフ氏の端正で温厚な佇まいから父親ラチョフの姿を充分に感じることができたと思っている。

恐竜もリアル
 さて、マフラーを忘れる。これは、反省すべき不手際。でも、このことは私にとって忘れられないエピソードとなった。で、ここからは、冒頭文に書いた余談の話。2年前、私はある出版物に、ラチョフ氏の絵本を出すことによって、あの「てぶくろ」の最後で散り散りになった動物を呼び戻したいのだ、みたいなことを書いた。随分観念的な話だ。そして、書いたそのこと自体も忘れていた。けれでも、マフラーを忘れたことをきっかけに思い出したのだ。

 そして、私は、動物たちを呼び戻すことが(想像の中だけど)できたと思っている。

それは、マフラーを何故忘れたんだろう。などと考えてきたときふっと降りてきたイメージなのだが、ある絵が鮮明に脳裏に浮かび上がったのだ。それは、私の忘れたマフラーにあのラチョフの描いた「てぶくろ」の動物たちがくるまっている絵だ。私がマフラーを玄関に忘れて家を出てから、トゥルコフ氏がそれを持って出て行くほんの短い間、あの動物たちが次々にやってきてマフラーにくるまっていたであろうという想像!

 そう。これはイメージの話で、とても個人的な感覚の話。でも、私は散り散りになった動物たちを一瞬呼び集められた暗示をもらった気持ちでいるのだ。随分手前勝手な話だけど、これもひとつの旅の贈り物であると思うことにした。





 


 

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