アリョーヌシカとイワーヌシカより |
1901年から1903年にかけてビリービンの6冊の絵本が出版されました。『イワン王子と火の鳥と灰色おおかみ』『蛙の王女』『鷹フィニストの羽根』『うるわしのワシリーサ』『マリア・モレーブナ』『アリョーヌシカとイワーヌシカ・白い鴨』どれもロシアに伝わる民話の絵本です。ユーゲントシュテイル様式を取り込んだ表現、レーピンから学んだリアリズム表現が見てとれ、民話の世界の神秘性を伝える大変に美しい絵本たちの誕生です。
これらの絵本は国立資料編纂所がドイツから印刷機と技術者を導入し、当時のロシアで最新の技術を見せるために企画されて作られました(「カスチョール6号」)。そして印刷は内閣造幣局(内閣印刷局)が行っています。なんと造幣局!です。最高峰の技術で印刷されたことは間違いありません。その後、ビリービンは、1904年からも同じく国立資料編纂所の依頼でプーシキンの昔話『サルタン王物語』『金鶏物語』の挿絵を手掛けます。これらの作品によりビリービンは、国内はもちろん、西欧でも高く評価され、世界の絵本の歴史にもその名前を残すことになります。
石版印刷の父 |
印刷の方法は多色石版印刷(クロモリトグラフ)です。簡単にいうと平らな石灰石の上に直接絵を描き、水と油の反発の原理を利用して印刷する方法です。その「石灰石」ですが、印刷に適する良質なものは南ドイツでしか採掘されないらしいのです。ということは、ビリービンの絵本の版となった「石」もドイツから輸入していたのかもしれない」そんなふうに思っていたのですが…。
実は、このところ印刷のあれこれが気になり、本を読んだり、印刷博物館を訪ねたりしていたのですが、ある時、学芸員の本多さんという方にいろいろ質問をさせていただける機会に恵まれました。特に石版印刷の実際について、わからないことを教えていただいたのですが、ビリービンの時代のロシアの石版印刷の版の石についてもお聞きしました。答えは、ドイツのものを使ったはずだということでした。
ということは、印刷機も、10回以上と言われる色を重ねて刷る熟練の技術も、そして版となる石も、全てドイツからの輸入だったわけですね。大成功をおさめたビリービンの絵本の誕生にはドイツの印刷力の大きな後押しがあったわけですね。
印刷博物館 |
それにしても、当時のロシアで最先端の技術を世に示したいという国立資料編纂所の思惑があったにしても、造幣局のような部署で民話絵本を印刷するのには何かピンとこないものもありました。お札を作る造幣局がそんなことをしてもいいのでしょうか。実は、これについては、前述の本多さんから、大変興味深いお話をお聞きしました。それは、造幣局のような部署では印刷技術研究はとても大切なことで、そのために、印刷の「実験」をする…というお話。へえ、なるほど。もしかすると、当時のロシアの造幣局としては、ドイツの新しい石版印刷の機械と多色刷りの技術を、絵本印刷で「実験」するという目的もあったのかもしれませんね。また、実際は造幣局といっても、紙幣だけを印刷するだけではなくもっと幅広い仕事をしていたのかもしれません。
ところで、19世紀後半~20世紀初め、世界に目を向けるとでは絵本の印刷には様々な手法が使われていたようです。ケイト・グリナウェイは多色木口木版印刷、エルンスト・クライドルフは多色石版印刷です。そして1902年の『ピーター・ラビットのおはなし』はカラー写真製版による凸版印刷で、この絵本の成功が本格的カラー写真製版印刷の幕開けとなったそうです。
印刷という視点で絵本の歴史を見ていくのも興味深いです。
参考文献:カラー版「本ができるまで」岩波書店
「絵本とイラストレーション」武蔵野美術大学出版局
「ロシア児童文学の世界」国立国会図書館国際子ども図書館
ロシアの絵本・カランダーシ