「幻のロシア絵本1920-30年代」(淡交社)より |
しかし、輝いていた青空に黒雲がたちこめてきます。「スターリンの独裁政治のもと、1932年、すべての造形グループは解散を命じられ、唯一許されるのは「社会主義リアリズム」だという悪夢のような状況を迎えるのです」(「芸術新潮2004年7月号」)
「カスチュール29号」 (カスチョールの会) |
レーベジェフは捕まることはなかったのですが、その作品からはつらつとした輝きは完全に奪われてしまいました。(一番上の画像)生きながらに葬られたとも言われています。
[しずかなおはなし」福音館 |
レーベジェフ自身の心のうちを知るすべはありません。雑誌『カスチョール29号』(カスチョールの会刊)というロシア児童文学の研究専門雑誌では、レーベジェフ生誕120年ということから特集が組まれていました。大変詳しくレーベジェフの生涯や時代背景のことなど書かれており、大変参考になったのですが、その中で、レーベジェフの父親が機械技術師であったこと、少年時代にボクシングやサッカーで身体的鍛錬をしていたこと、解剖学やデッサンの修練を積んでいたことなどを知りました。
困難の中で、制約の中で絵本を描くことを続けたマルシャーク。逮捕、銃殺、そして亡命や、絵筆を折る、自殺など、多くの仲間が創作の場から姿を消していった中で、絵本を作り続けることをやめなかったレーベジェフ。これは私の想像ですが、そのひとつの背景には、地道に技術を用いてもの作りをしていた父親の姿を見て育ったこともあるのかなと思いますし、また、生きてゆく根本部分、すなわち身体的なタフさがあったこと、そして、これは大きいと思うのですが、あらゆる表現に対応できるだけの技術を有していたこと、などもあるのかなと思いました。また描き続けることに理由づけは必要ないのかもしれません。それが彼の仕事であり生きることそのものだったと考えるならば。
マルシャークと作った「しずかなおはなし」(福音館書店)という絵本があります。はりねずみの親子はしずかにくらしていましたが、オオカミに見つかってしまいます。はりねずみはとげを逆立てて、じっとじっとまるくなって難を逃れます。このはりねずみの姿にレーベジェフを重ねるのは勝手なことかもしれません。当のはりねずみに何か尋ねてみましょうか。でも、あいにく最後の最後、裏表紙で、はりねずみは、まるまって後ろを向いており、何も答えてはくれないのです。でも、その背中にはたくさんの「とげ」があることを忘れてはなりません。
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ロシア絵本「カランダーシ」
「ラチョフ動物民話集」 |
「ちひろと世界の絵本画家たち」にて
ラチョフの原画も展示中。