2013年9月16日月曜日

動物挿絵画家ラチョフの誕生


 

「芸術新潮2004年7月号」より
久ぶりに「芸術新潮2004年7月号」の登場です。この号の中には、「絵本革命の同志たち」というくくりがあるのですが、その中で、動物絵本の達人として、チャルーシン(1901-1965)という画家を紹介しています。リアルな動物描写についても言及していますが、構図、テキストの配置などの「都会的な研ぎすまされたセンス」(本文より)は、ロシアアヴァンギャルドの影響を抜きには考えられないとあります。

さて、さて、このチャルーシンと「てぶくろ」(福音書店刊)やカランダーシ刊の「うさぎのいえ」の画家ラチョフの関係はいかに?・・・
今回は以前にも登場しましたが、主に『カスチョール』というロシア児童文学の研究雑誌の11号のラチョフ自身が語る「私が画家になったわけ」と21号の「E・ラチョーフ描くふたつの「てぶくろ」をめぐって」という記事を参考にさせていただきました。あまり文献のない中、これらの記事は大変貴重だと思います。そんなわけで、私自身、学びつつ動物挿絵画家ラチョフの誕生の経緯などご紹介できればと思います。くわしくお知りになりたい方は是非「カスチョールの会」さんhttp://www.koctep.net/へ。バックナンバー販売もあるようです。


はい。話を戻します。で、ラチョフなんですが、前述のチャルーシン、そしてあのレーベジェフhttp://lucas705karandashi.blogspot.jp/2012_05_01_archive.htmlの影響を強く受けたようです。確かに、下の図のように1930年前半のラチョフの作品は、チャルーシンの作品にとてもよく似ています。対象(動物)を写実的に描き、構図はデザイン性が強いです。両者の絵を見て、ラチョフは「私はその独自の美しさに魅了され、小さな本の絵もまた本物の芸術でありうるということを理解しました。私はレーベジェフから直接教えを受けたわけではありません。けれども、子どもの本の挿絵に対して本物の芸術に対するようにすべきだと、絵をもって私を悟らせてくれたのはレーベジェフだったのです」(「カスチョール誌11号」より)と語っています。

 
 
「幻のロシア絵本1920年代-1930年代」(淡交社)よりラチョフ画
ラチョフは、最初子どもの本の挿絵画家を目指していったわけではなかったようですが、依頼される仕事の中で、子どものための、しかも動物を描く仕事が来ると大変喜びを感じ、「これだっ!」と方向性がはっきりとしていったようです。

幼いころ、父を亡くしたラチョフはひとりぼっちでシベリア東部のユージノの祖母の家に預けられます。大自然の中、多くの動物たちがいつも周りにいました。ここでの暮らしは、少年の心をわくわくさせる新鮮な驚きに満ちたものだったようで、ラチョフは「まるでおとぎの国のように思いだされるのです」(カスチョール11号誌より)と後に懐かしんでいます。もちろん、母と離れているさびしさはあったとは思いますが。 

しかし、祖母の死後、母の元に戻るのでこの自然豊かな生活には別れをつげることになります。それが、美術師範学校や美術大学で学んだ後、今度は絵筆で懐かしく親しい存在であった動物たちを描く仕事を始めるわけです。動物の種類によってはその習性や匂いや手触りまで覚えていたはずです。絵筆でかつての親友?たちを紙の上に蘇らせることは、少年時代の楽しかった気持ちを呼び覚ましてくれたかもしれません。
 動物の骨格や毛並みや目つきまでとてもリアルに表現することで有名なラチョフ。剥製や動物園での観察スケッチの修練という技術的裏付けもあってのことですが、何よりも少年時代の経験から「心身を通して動物を真に知っていた」ことは大きかったでしょう。
 
さて、ラチョフが写実的な表現を用いて挿絵画家として活動し始める頃、1930年代後半から~1950年前半それは、「社会主義リアリズム」表現だけが許される時代と重なります。「絵本革命の同志たち」が追放され、処刑され、弾圧された時代が始まるのです。そして、絵本革命の旗手、担い手であったレーベジェフの作品からは輝きが失われ、「生きながらに葬られた」時代。では、ラチョフはしかたなく、写実的な表現を用いていたのでしょうか。
 

「ラチョフ動物民話挿絵集」より
それについては、当時の代表的動物挿絵画家のラチョフ、そしてチャルーシンは、芸術を学ぶ時代に前衛的な「新しい」表現技法の洗礼を受け、ラチョフについては最初大いに実践もするも、結局はなじめなかったと語っています。「二人はもともと対象物の具体性、その生の美しさに執着を感じる、写実派の画家だったと言えるだろう」(「カスチョール誌21号」より)ですから、レーベジェフのように表現を変えなくてはならないような過酷な状況ではなかったということになります。













 ラチョフ画の「てぶくろ」(初版年)、またレーベジェフ画の「しずかなおはなし」(初版?50年代前半のような)もこの写実主義の時代に生まれた絵本です。その当時の子どもたちに愛され、今でも愛され続けています。それは、ラチョフもレーベジェフも、高い水準の技術力があったこと、精一杯子どもたちに最善のものを届けたいという思いで、真摯に創作に取り組んだことの結果であることは間違いないでしょう。


絵本革命の輝く時代の後のまるで光りの消えたような時代。ラチョフはそんな時代に子どものための挿絵画家として歩み始め、だんだんと認められてゆきます。その後、1945年に4年間の兵役から戻った後も、変わらず動物画の仕事を続けます。そして、ある日、動物の民話の挿絵の仕事に出合います!

2013年5月10日金曜日

ラチョフ画絵本『うさぎのいえ』発行まであと少し!

 










久しぶりにこのブログを書きます。

昨年の夏の終わりころから、私は絵本制作の準備にとりかかりましたが、実は、それはまた、愛犬の最後の日々と重なりました。そして、別れ。喪失感。何かを作り出してゆく作業があったことで私はきっと随分救われたのだと思っています。
 
1155円(税込)
絵本のタイトルは『うさぎのいえ』。エフゲーニー・М・ラチョフの絵本です。カランダーシ初めての出版で、525日発行予定です。企画から全てを何とかひとりでやってきました。そして、今絵本は印刷段階に入り、カランダーシとしては一冊でも多く販売するための努力をしなければという段階。これまた、力不足に打ちのめされながら、手探りの日々は続いています。 
 
ラチョフといえば、だれしも福音館書店の『てぶくろ』をすぐに思い浮かべることだと思います。ほかにも『もりのようふくや』『マーシャとくま』などもよく知られていますね。後に私は、それまで知らなかったたくさんのラチョフの挿絵に原書で出合う機会を得たのですが、もう、嬉しくて。 
 
ラチョフ(19061997)は、シベリヤのトムスクで生まれ、父親を早くに亡くし、歯科医の母親のもとを離れ、ユージノというタイガとステップの間にある地方の祖母の元で暮らします。自然の中で、動物、鳥たちの存在を身近に感じながら成長しますが、祖母の死によりふたたび14歳で母の元に戻ります。1924年にクバン美術師範学校に入り、みっちり技術的な基礎を学びます。その後、キエフ美術大学へ進み、挿絵の仕事を始めます。
の絵本と出合い、魅了されたと言っています。「私はレーベジェフから直接教えと受けたわけではありません。けれども、子どもの本の挿絵に対して本物の芸術に対するようにすべきだと、絵をもって悟らせてくれたのは、レーベジェフだったのです」(カスチュール11号)
 
しかし、一方1936年プラウダ紙によるレーベジェフ批判記事について「挿絵画家としての私の運命に決定的な影響を与えた」(カスチョール29号)として記事への肯定の意見も述べている。これはレーベジェフの絵本作りの姿勢に敬意を抱きながらも、対象の描き方、表現の仕方は相いれないねという理解でいいのだろうか。ラチョフも一時期「新しい」絵の表現に傾倒した時期もあったようですが、結局リアルに対象を描くことに戻ります。そして、やがてラチョフは、挿絵の登場動物に洋服を着せ始めるのです。(そのことについてはまた別の機会に) 
 
ラチョフの絵は、絵本『うさぎのいえ』の命です。もともと動物民話集の中にあったひとつのお話を選んで一冊の絵本に仕立てました。レイアウトを考え、「こうしよう!」というところまでいくのに結構試行錯誤がありました。ただ、試行錯誤をしたからといってそれは何の価値があるわけではありません。出来上がったもの、それが全てです。
 
お話は、もともとラチョフが挿絵を寄せていたカピッツア氏の再話がもとになっています。お話の中の繰り返し部分を楽しんで、じっくり読んだあとは、劇遊びなども楽しいのではと思います。是非、次々登場する犬や狼や熊、そして鶏になりきって読んだり、演じたりしてほしいなと思います。 
 
 現時点、いろいろな思いが胸を去来しておりますが、ラチョフの新しい絵本を世に出せること、この事実にのみフォーカスすれば、本当に滋味深い人生の贈物だ!!と感謝しかないのです。
 
 もうすぐ、発行。よろしくお願いいたします。
 
http://karandashi.ocnk.net/    (ネットショップ)
http://karandashi.jp     (出版)