2016年7月3日日曜日

「さんびきのくま」のおいしい話①

露語版「さんびきのくま」
今回は食べ物の話。突然ですが、皆さんはあの昔話「さんびきのくま」で森で迷った女の子がくまの家で勝手に食べた食べ物は何だと思っていらっしゃいますか?


このお話ですが、トルストイの文、ヴァスネツオフの絵の絵本を思い浮かべる方も多いのでは、と思います。その場合は答えはスープ。となるのですが、昨年「TRNSIT」という雑誌を読んでいましたら、ロシアの絵本のコーナーで、同じくトルストイ作の「さんびきのくま」の文章の一部が掲載されていて「カーシャ」を食べたという記述があったのです。

まず、「カーシャ」とは何?について。蕎麦の実が一般的なようですが、穀類を柔らかくミルク、バターとともにどろどろに煮込んだもの、およびミルクなしで塩味のものなど、作り方、味付け、濃度などはかなり幅広い食べ物。現在は、簡単なインスタントのものが出回っているようです。どろっとしているけれど、でも、スープとは違う料理です。

ってことで、前述の雑誌のカーシャ記述も手がかりとして、トルストイ絵本日本版で「スープ」になっているのは、もともとロシア語では「カーシャ」だったのだけど、日本に馴染みのない食べ物だったので、翻訳するときに日本の子どもにもわかりやすく「スープ」としたのでは、という推理をたててみました。しかし、トルストイ作の同じ画家のロシア語版「さんびきのくま」を取り寄せて調べてみると、問題の食べ物の表記はПОХЛЁБКА「スープ」でした。あらあら。

2015年1月30日号
「カーシャ」?「スープ」?そして、もうひとつ、日本では「おかゆ」という答えもわりとポピュラーなのかな、と思います。これは「さんびきのくま」はもともとイギリスの昔話で「イギリスとアイルランドの昔話」(福音館文庫)方面を読まれた方の答えは「おかゆ」となるかと思います。

このイギリス版「さんびきのくま」、実はルーツをたどるともともとは昔話ですが、文章化された際、主人公は最初はおばあさん!で、それが後に変化して、金髪の少女、その名もゴールディロックスとなり、現在では「ゴールディロックスとさんびきのくま」というタイトルも親しまれているようです。そこで、このタイトルのアメリカ版英語絵本を2冊図書館から借りて調べてみました。注目の食べ物の表記はPORRIDGE。オートミールをどろどろに煮て粥状にしたもの。日本語訳ではこれが「おかゆ」という表現になるわけです。

日本では概ねこの「おかゆ」と「スープ」が一般的なのではないでしょうか。面白い例があります。2007年三鷹の森ジブリ美術館で開催された「さんびきのくま」展、そのパンフレットですが、ジブリの展示会自体ははヴァスネツオフ版をもとにしているので、展示物食べ物は「スープ」設定ですが、パンフレットの「おはなしのいわれ」という文章の中では「おかゆ」という言葉があたりまえのようにさらっと出てきています。まさかのダブルスタンダード現象です。

ジブリ美術館企画展示パンフ2007年
その一翼を担う「スープ」が登場するヴァスネツォフ版ロシアの「さんびきのくま」はこのジブリパンフレットにもありますが、もともとはイギリスの昔話であったお話を、トルストイがロシアの子どもたちのために書きなおしたもの。その途上で、PORRIDGEという言葉を、ロシアの子ども向けにПОХЛЁБКА「スープ」という言葉で表現したと考えることができるかと思います。「スープ」とはいってもПОХЛЁБКАは辞書を見ると小麦粉やジャガイモのスープを指すとあるので、どろどろっと感があるようですし、PORRIDGEとイメージは近いですね。

②に続く






「さんびきのくま」のおいしい話②


①の続き 
では、最初にもどりますが、「カーシャ」はどうなの?ということになります。トルストイについては、「さんびきのくま」を何度か書いており、その際に「スープ」と「カーシャ」(もっとあるかもしれないが)の書き分けがあったということなるのでは、と推理したいと思います。

ロジャンコフスキー版
実際、さきほどのパンフレットを読むと、トルストイは、ロシアの子どもたちのためにいろいろなお話を10回以上改作を重ねて作ったと書いてあります。このお話も改作を重ねるその途中で、「スープ」がやはりドロドロした穀物系PORRIDGEとイメージが重なる「カーシャ」になり、(または「カーシャ」が「スープ」になり)と考えられるのではと思うのです。カーシャだけに目がくらんでおろそかになっていましたが、雑誌TRNZITのその他の文章もヴァスネツオフ版とは随分異なります。どちらが先に書かれた話なのか、そもそも、「スープ」「カーシャ」のそれぞれの選択理由も気になります。

よく知られたシンプルなお話ですが、伝承物語ならではのお話の内容の変化があり、たったひとつ登場する食べ物も、国境を越えた時に多分わかりやすさや親しみやすさを考慮して自国にある料理名に変わり、作者の書き直しによっても変わり、ということなのではと思います。

で、現在ロシア人はどう思っているかなんですが、ほぼカーシャが優勢ではないかと思っています。私のロシア語の教材のお話でもカーシャです。実はロシアに行った際、何人かの人に聞いてみたのです。確か一人を除いてカーシャという答えが返ってきました。印象的だったのははっきりとスープと答えた小学生の女の子でした。

これはスープ
この女の子は双子なんですが、もう一人の女の子はカーシャと答えているのです。同じように育って多分同じ本を読んでいるはずなのに。お母さんも驚いて首をかしげていましたが、その女の子は絶対スープと言い張りました。彼女がどこかでスープ版「さんびきのくま」を一人で読んだのでしょうか。ちょっと面白い話だなと思っています。

PORRIDGEとカーシャについては、まあ穀類を煮るということから(スープよりも)同じようなものと言えるのかもしれません。というのも、ロシアから亡命した画家ロジャンコフスキーがアメリカで描いた「さんびきのくま」が最近ロシアで復刻出版されたので取り寄せて見てみたら、こちらは「カーシャ」表記でした。特に作者は記されていないものの、アメリカ版を露訳した絵本です。とするとカーシャの原語は何だったのでしょう。PORRIDGEという言葉が使われていたと素人なりに考えると、ロシア語版で堂々КАШАカーシャとなっているのは、ほほ同じ食べ物としての判断があったからだと推測されるからです。

カーシャを作ってみた
どうでもよいような、でも、同じ話でも同じ作家でも食べ物の表記が異なったり、国を越える時に異なってくる…このことから読者も人によってお話の食べ物のイメージがそれぞれ違うっていうのはちょっと面白いなと思ったわけです。というのも、原語をたどれば、概ねそんなにイメージの相違はないように思ったりもしますが、特に日本語にした時の「スープ」や「おかゆ」という表記はそれはそれで結構イメージがぐっと広がるというか、ゆえにもとの食べ物のイメージから離れてしまっているとも考えられますし。

先日行ったあるお人形の展示会ではこの食べ物は「ボルシチ」!!設定でした。もう、何でもありかもしれません。統一イメージとしては、どろっとした温かい食べ物だったということでしょうか。迷子の子がちょっと食べてみたくなるような。きっとそれは、優しくてほっとする味だったに違いないでしょう。熊のお母さんが家族のために心をこめて作ったのですから。


前回「ロジャンコフスキーさん」で書いていたことの答えを記します。
「さんびきのくま」に白樺の木はやはり登場していました!




参考・参照文献
TRNSIT27号(講談社)
「さんびきのくま」(福音館書店)
ТРИ МЕДВЕДЯ9785903979776
GOLDILOCKS AND THE THREE BEARS0399221212
GOLDILOCKS AND THE THREE BEARS0200728563
「三鷹の森ジブリ美術館企画展示 さんびきのくま」
「こどもとしょかん」139
「絵本世界の食事18 ロシアのごはん」(農文協)