2015年9月19日土曜日

カランダーシのロシア旅①(旅の始まり)


こんにちは、モスクワ!
 初めての一人旅。初めてのロシア。このふたつの組み合わせは、ちょっとどうなんだろっていう思いを抱きつつも、急に出版を決めた絵本「わいわいきのこのおいわいかい きのこ解説つき」制作作業に忙殺された夏が過ぎようとする頃、印刷会社に何とかギリギリでデータを渡し、あわてて大きなトランクに荷物をぶちこんで、私は成田からモスクワへ飛び立ったのでした。

 で、旅行を終えて感想をひとことで言うと、「行ってよかった」に尽きます。でも本当、勇気、絞り出しましたという感じ。往きの飛行機では、映画「マッドマックス 怒りのデスロード」を観ていたのだけど、途中、張り詰めている気持ちを揺さぶるようなドキドキ感に耐え切れず、刺激の少なそうな「脳内ポイズンベリー」に変えたくらい。でも、帰りの飛行機では「マッド」の続きをすんなり観られたんですね。ロシアにいる間、緊張はずっとしていたのだろうけど、それに勝る好奇心と興奮に導かれ、経験値を上げ、少しはたくましくなったのかもしれません。

機内食は往きも帰りも全て完食
 以前から仕事柄、いつかはロシアへ行く希望はもっていたのですが、現実的に旅への背中を押してくれたのは、私のロシア語の先生ですね。ロシア在住の経験から以前からロシアの魅力や面白さを教えてもらってはいたのですが、ぼんやりしたロシアへの憧れをどんどん具体的なプランに置き換え、現地での強力な助っ人まで紹介してくださるにいたり、もう行くしかないと心を決めたのでした。いわゆる集団のツアーでは行かないようなところにしか関心がない、ちょっと変わった旅人がこうして誕生したのでした。そう、そして、家族の理解と応援!心配しながらも私を強力サポートで送り出してくれました。

 カランダーシの初ロシア旅。旅の計画の柱のひとつは「うさぎのいえ」の画家ラチョフ氏代理人へのご挨拶。ひとつは商品の仕入れ。ひとつはロシアの子どもと子どもの本事情を知るための場所へ行くことなどでした。そして、「きのこ狩り」という夢のようなプランが、現地での強力なサポーターを引き受けてくださったコーディネーターMさんのご厚意で実現できることとなり、ロシアの森ときのこを楽しむ、という素敵な計画が加わったのでした。

 さてさて、モスクワに着き、迎えに来た時速100キロ超えなんて当たり前なタクシーの後部座席には見回してもシートベルトはなく、躊躇ない強引な車線変更や割り込みにおののきながら「これがロシアか」と思った次第。外を見ると日本車率高し。そして目に飛び込んでくる白樺の林!林!林!


きのこの棚
 ホテルでは、先生と練習した「チェックインの会話」を行使して、パスポートもすぐ返してもらえたし、朝食の時間も教えてもらったし、6階の一番隅っこの部屋に着いた時にはホッとしました。と同時に一瞬すごいホームシック感に襲われたのも事実。

 でも、夕方早い時間だったので、私は果敢にも?フロントへ出かけ、近所のスーパーマーケットの場所を聞いて出かけたのでした。どんな場所に行っても、その地のスーパーや市場を見るのが好き。そういう場所に行けば、その地の暮らしぶりに触れられてぐっと親近感が増します。ホテルから5分の場所にあった複合ショッピングセンターの地下の食品売り場は、私にとってロシアでのファーストわくわくワンダーランドスポットになりました。

 そう。全ての棚をゆっくり見ながら、私は自分が随分と旅の緊張から開放されてくるのを感じていました。あ、お醤油や寿司酢だ、あ、おなじみのチョコレートもたくさんある。え、きのこ瓶詰め、缶詰がこんなにあるの?お惣菜も売ってる、いい匂い!家族連れ、ママは仕事帰りかな…。そして、私はロシアで初めての小さな買い物をしました。ケーキの花飾り。これはかわいい!

思わず購入
 夕食は、ホテルのカフェでサンドウイッチとピロシキを選んで、使ってみたかったフレーズ「С собой. пожалуйста.スサボーイ。パジャールスタ(お持ち帰りをお願いします)」でテイクアウト。でも、その後、お店の人に早口でぺらぺら話しかけられたのだけど、それは残念ながらよくわからなかった。後日、ロシア語の先生が言うには「スサボーイという結構慣れた?言葉を知っているから、この人は話しかけても大丈夫と思われたのかもしれませんね」とのこと。そうなのか。ごめんなさい。


 といういわけで、いよいよ次の日から、本格的ロシアの日々が始まるわけですが、バスタブにお湯をはりながら、洗濯ものをごしごししながら、「今、私はロシアにいるんだな、嘘みたい」なんてなんとも不思議な気持ちでいたわけで、ああ、そんな自分が今ではとても懐かしいな。

2015年4月11日土曜日

ロジャンコフスキーさん!


 
※仏時代カストール文庫
ひとりの絵本画家のいくつかの作品をみて、絵の変化に気づいたり、独特のこだわりなどを見つけたりするのは興味深いことです。今回注目したのは、あの「野うさぎのフルー」や「くまのブウル」で有名なフィオドール・ロジャンコフスキー。今度、カランダーシで、彼の描く「さんびきのくま」を入荷することもあり、以前から気になっている画家でもあったので、ちょっと調べてみました。

ロジャンコフスキーはロシア出身です。でも、青年期には混乱のロシアを出て、ヨーロッパ、主にパリで、子どもの本の絵を描きたいという夢を実現させ成功をおさめるんですね。でも、第二次世界大戦開戦にともない、南仏へ逃れ、スペイン、ポルトガルを経て、最終的に小さな貨物船で海を越え、ついには遠いアメリカへと渡ることを余儀なくされます。そう。それはまるで、野原で銃声を聞き、逃げる野うさぎのフルーの姿と重なりますね。

※仏時代カストール文庫
けれども、ロシアにいる頃のロジャンコフスキー(以下、親しみをこめて?ロジャンと言わせてもらいます)は、第一次大戦時と革命時には、兵士として敵と戦う青年だったんですね。つまりは銃を持つ立場ですね。彼が国を出たのは、銃よりも絵筆を持つ人生を望んだと考えることはできるでしょう。混乱が続くロシアから逃れ、若い頃から認められていた絵の才能を芸術の都パリで発揮させる道を選んだロジャン。最初の召集では負傷したそうですから、そのことも人生の方向性に影響しているかもしれませんね。

パリでのロジャンコフスキーの活躍といえば、なんといっても、ポール・フォシュによって創刊されたカストール文庫への参加でしょう!前述のフルーやブウル、そして「りすのパナシ」のお話を初め、フォシュ夫人のリダとのコンビで他にも「かものプルッフ」など、自然と動物の様子を子どもたちに伝える絵本や、「ミシカ」などのお話絵本など、今も子どもたちに愛され続けている優れた絵本を残していますね。

※渡米後の作品
そして、命からがらたどりついたというアメリカ。すでに絵本画家として有名だったロジャンコフスキーは大歓迎されたようです。さあ、そこでアメリカでの作品を見てみると…「THE TRUE STORY OF SMOKY THE BEAR」これは55年の作品ですが、一連のカストール文庫の絵と較べると「変化」が見られますね。テーマはやはり自然と生き物にある作品ですが、特に動物の描き方がちょっと変わったような。パリ時代のカストール文庫の本物の動物ものにおける素朴で飾らない自然のままの動物表現がベースにありますが、熊の目は少し「大きめ」で今よく使われる表現だと、「盛った?」印象かな。キャラクターとしての表情がついていますし、お話の流れではありますが、洋服を着せた「擬人化」も取り入れています。デニムをはきこなして、アメリカナイズされた熊さん!といった感じですね。

※目がパッチリ・着衣・擬人化
フランスでの活躍を評価していた方面からは、渡米後しばらくのこの「変化」をよしとしない意見も出ているようですね。でも、、これが、異国の地で絵筆で仕事をしていくというひとつの現実を示しているように思ったりもします。そして、また、ロジャン自身は、この変化を作家として前向きに「挑戦」として取り組んでいったのではと思うのです。

※コルデット賞
その証拠に、これは、同じく1955年作ですが、「かえるだんなのけっこんしき」で、見事コールデット賞を受賞しています!この絵本の中では、かえるだんなを始め様々な生き物たちが、ロジャンの新しい創造物として命ふきこまれ表情豊かに自在に軽妙に動き回っています。同時代のガース・ウイリアムのような鉛筆のタッチも取り入れていますね。そう、これらは、ロジャンの代名詞ともいえるしっかりとした動物描写の力あってこその表現。さきほどの「変化」を見事「進化」させたともいえるのではと思います。

資料によると、ロジャンの絵本挿絵の原点は、もともとの絵の才能に、高校時代に培われた博物学の素養が加味された自然への興味と愛にあるようです。幼いころ夢中になった動物園でのスケッチ、父親の蔵書のドレ!の作品に魅せられたというエピソードなども、ロジャンの絵の大切な要素でしょう。そんなロジャンですから、世界どこに行っても、その地の自然、生き物に心寄せたに違いないでしょうし、そういう興味が、異国の地を知る助けにもなったのではとも思います。

パリでも、アメリカも成功をおさめたロジャン。もし、ロシアにそのままいたら、うーん、テーマは同じでも、多分違う表現の絵を描いていたんではないかな。そう、独断を許してもらえるなら、「かえるだんなのけっこんしき」のような絵は生まれていなかったように思うのです。

ロシアのチョコの包み紙
※仏時代:熊の親子、白樺
でも、その国や時代のニーズに合わせたり、進化をとげたり、その国の自然描写を取り入れたとしても、ロジャンはやはり、ロシアの画家という印象を私は持っています。100冊以上の作品のうちわずか11冊くらいの絵本を見て何か語るのもおこがましいのですが、全くの極私的根拠というものをあげるとすれば、(変わった見方(こじつけ?)であることも重々承知していますが、ほとんどの絵本に「白樺」が登場するということをあげたいと思います。

※米時代:ナナカマド?とこぐまたち
※ロシア民家?
ヨーロッパだって、アメリカだって、白樺は存在します(日本にも)。ですから、どの絵本にも白樺は登場してもおかしくはありません。うーん、いやいや、でも、と思うわけです、確か白樺という木は私たちが思う以上に、ロシアの人にとって大切な存在と聞いたぞ…そう、日本だと例えば桜のように。(このことはビリービンについてのブログでもふれていますが)忠実なスケッチ画を絵本に使用しているのか、そのへんのことはわからないですが、私はロジャンは意図的に祖国を象徴する白樺を登場させていた、と考えたりするのです。そして、ナナカマドとみられる赤い実のなる木の登場にも「ああロシア!」と思ったり。また、「かえるのだんなのけっこんしき」(この絵本は白樺は登場しない)と、「おおきなのはら」(登場します)では、ロシア民家を彷彿とさせるような挿絵が登場します。

で、ここからは、さらにちょっとおまけ的な話ですが、パリ、米国2冊のくまが主役の絵本の、こぐまたちが森で遊ぶページを見れば、ロシアの有名なチョコレートの包み紙となんだか雰囲気が似ているなあと思ったり。このチョコレートの会社は1850年創業で、熊の親子の図柄はロシアでは昔からおなじみだそう。(私のロシア語の先生が、調べて
くださいました)。いえることは、これらは、Theロシアの森のくまたちのイメージエッセンスが濃厚だということ。もちろん、ロジャンがロシア時代にこのチョコレートを食べていて…とこじつけ的想像は膨むのです。


※白樺、登場します
私なりのまとめになりますが、フィオドール・ロジャンコフスキー…活躍の場は祖国ロシアではありませんでしたが、行った先々の環境やニーズに合わせた表現に取り組む一方、その地の自然を愛し、その風景を絵本の中に取り入れつつも、心の中のロシア、そしてロシアの森を決して忘れなかった画家。という感じでしょうか。

今回は生涯にわたる詳しい資料を探せなくて、特に、アメリカでのロジャンのその後の仕事ぶりの詳しい記載があるものがなかった…。結果、実際のロシアとの関わりや思いなど、今後も知る機会をもてたら嬉しいですね。

 さてさて、そのロジャンコフスキーが描いたもうすぐ入荷予定の「さんびきのくま」はどんな絵本なのでしょう。多分アメリカで描かれたものだと思うのですが、祖国を離れて描く祖国で愛されてきたお話…一体どういう気持ちで取り組んだのでしょうか。

そこに、やはり白樺は登場するのでしょうか。
楽しみです。


追記:ロジャンコフスキーの絵本で白樺探しをするのは楽しいことでした。ちょっと変わった絵本の楽しみ方ではありますが…。植物学的に本当に白樺と分類できるのかは定かではないので、白樺に見える木を探すという表現が正しいですが。






※参考・参照文献
「絵本図書館-世界の絵本作家たち-」(ブック・グローブ社)
「12人の絵本作家たち」(すばる書房)
「ボンジュール!フランスの絵本たち」(イデッフ)
「かものプルッフ」(童話館出版)
「りん らん ろん」(童話屋)
「川はながれる」(岩波書店)
「くまのブウル」(童話屋)
「おおきなのはら」(光村教育図書)
「かえるだんなのけっこんしき」(光村教育図書)
「THE TRUE STORY OF SMOKY THE BEAR」(GOLDEN PRESS」/
「ミシュカ」(新教出版社)
「かわせみのマルタン」(童話館出版)
「りすのパナシ」(童話館出版)

「野うさぎのフルー」(童話館出版)














2014年9月23日火曜日

チェブラーシカ事件簿

『チェブラーシカ』(東洋書店)
  ロシア絵本のネットショップを運営しているので、サイトへのアクセス数はもちろん気になるところですが、少し前、2013年3月のある月曜日の真夜中、ちょっとした「事件?」が起こりました。突然そのアクセス数がびっくりするほどの勢いで急上昇したのです。何かシステム的なトラブルか、とさえ思えるほどの数値でちょっとこわいくらいでした。

 ほどなくその「犯人」がテレビドラマ「ビブリア古書堂の事件簿」であることがわかりました。そのドラマで、当ショップでも当時取り扱いのあった『チェブラーシュカと仲間たち』(新読書社)(現在は品切れ中)が取り上げられたため、多くの視聴者が、夜中にネットで本探しをした、ということなのでした。

 
 最近はテレビ離れが進んでいると思っていたのですが、いやいやどうして、すごい影響力です。でも、一体どうして、その本がそんなにも注目を集めたのでしょう。そう、皆さんがどうしても見たかったのはこの本のチェブラーシカの挿絵だったのです。


 チェブラーシカといえば、どんな姿・形の生き物?そう問われたらどうでしょう。きっと大きな耳にくりくりの目が特徴の茶色い動物を思い浮かべるのではと思います。パペットアニメ映画やキャラクター商品でよくお目にかかるおなじみの「あの生き物」です。


 でも、皆さんが探していた、の挿絵のチェブラーシカは、おなじみのイメージとは全く異なった、一見、タヌキかクマ※のような素朴で不思議な風貌なんですね。一体どういうことなのでしょう。

タヌキ?※
 『チェブラーシカ』(東洋書店)という書籍によると、現在、日本でよく知られるチェブラーシカ像が定着するきっかけは、2001年吉田久美子さんという方の尽力により公開されたパペットアニメーション映画のようです。前述の『チェブラーシュカと仲間たち』が日本に紹介されたのは1976年、(実際に画家アルフェーフスキーが描いたのは1965年)ですから、映画よりも早く日本にやってきたのはこちらのチェブラーシカだということになります。


 でも、映画発表以降、日本ではチェブラーシカはその映画のキャラクターの姿形が広く知られ、大人気に。その人気がロシアに伝わり、本国で魅力が「再発見」され、オリンピックの公式マスコットになったり…という流れもあったりを経て、現在では、日本が、旧ソ連領土以外のチェブラーシカの包括的版権を取得し、様々な商品が生み出されているそうです。ここで作りだされるチェブラーシカ像が、すなわち(概ね)日本でのチェブラーシカ像となっているわけですね。

  本国ロシアではどうかというと、前述参考図書によると、ロシア人にとって、チェブラーシカとはまず、お話を通して、その性格や風貌を皆それぞれが、心の中で想像し、イメージする存在であるということが根底にあるそう。例として「罪と罰」のラスコーリニコフがあげられていましたが、日本だったら、「三四郎」?そう、よく知られたお話の登場人物や動物など考えてみてもいいかもしれません。それらは、時代を越えて、様々な表現で描かれたり、演じたりされるけれども、それぞれの心の中のイメージは自由であり、イメージがひとつに固定されることはない、ロシア人にとってチェブラーシカって、そういう存在だということらしいのです。

 ですから、ロシアでも、その人気や認知度の高さから、映画イメージに近いチェブラーシカの書籍や商品がほとんどのようですが、画家やデザイナーの個性も入っていたりして、日本ほどキャラクターデザインにガチガチな統一性がない、ということにもむすびついてくるようです。(実際問題として、社会主義時代に著作権という考え方がなかったから、画家の数だけチェブラーシカが生まれ、今だにそれが残っているということもあるようですが)

 だとすれば、タヌキさんみたいなチェブラーシカもロシアでは衝撃的違和感はないのかもしれませんね。少なくとも、お話よりも先に映画のキャラクターイメージが定着している日本でよりは。

 さて、1年半ほどたってしまいましたが、先日、やっとそのドラマの原作小説「ビブリア古書堂の事件手帖」(アスキー・メディアワークス)の該当章「タヌキとわにが出てくる、絵本みたいなの」を読みました。
 
 ある女性が小さい頃に読んだ不思議な生き物が登場する本を探す物語で、主人公の古書店の店主が断片的な情報から推理を働かせ、やがて一冊の本、そう、『チェブラーシュカと仲間たち』を探しだします。また、その本の内容と絡めて女性の長年の家族の確執と和解も描かれ、チェブラーシカのキャラクターイメージが今なぜこうのか、などについても触れています。


そうですね。こういう原作がドラマ化されたとすれば…、
確かに本を探したくなりますね。

 
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2014年8月22日金曜日

ボンジュール!フランスのビリービン


 このところ、ずっとビリービンのことを書いているので、たまには別のテーマのことも書こうかな(書きたい…)などと思っていました。でも、今回も、ビリービン!

 

うらわ美術館で開催中の「ボンジュール!フランスの絵本たち」展。フランス絵本の代表的存在、カストール文庫についてはいろいろ知りたいと思っていたので出かけました。ロジャンコフスキーなどは有名だけれど、ロシア絵本の影響というのをどんな感じで紹介しているのか興味もあったので。

 

 カストール文庫創始者のフォシェは、教育においての絵本の重要性を唱え、黄金期ロシア絵本も参考に、ロシアや東欧の作家を起用して新しい絵本作りを始めました。最初の絵本が工作絵本というのも興味深いのですが、これもロシア絵本の手法にならったもので作家もロシア人のナタリー・パラン。

 

 そのナタリー・パランの作品には、ロシアアヴァンギャルド絵本の系譜がみてとれます。その新しくて明るいのびやかな表現は、本国ロシアでは終焉を迎えざるをえなかったわけで、それが、こうしてフランスの地で受け継がれて花開く…絵本を通してあらためて歴史の流れに思いをはせました。そう、その時代、多くのロシアの芸術家がヨーロッパに亡命していました。

 

ナタリー・パラン画(図録より)
 先述したロジャンコフスキーもその一人ですが、実はビリービンもそうだったんですね。そして、カストール文庫にも参加していたのです。そのことを知ってはいたのですが、どんな絵本を作っていたのか、その実際は知りませんでした。もしかすると郷に入れば郷に従えではありませんが、画風をアレンジするようなこともあったのかな、など勝手に思ったりもして、いつかはそのことについても知りたいと思っていました。

 

 そうしたら、展示されていたんです!カストール文庫におけるビリービン絵本の原画が!冷静に考えたら確かに展示されていてもおかしくはないのですが、個人的に全然期待していなかったので、ちょっと勝手に驚いてしまいました。それに、印刷された初版本は見たことはありますが、原画は初めてです。ちょっと感動です。

 

ビリービン画(図録より)
展示されていたのは「小さい金の魚」。こてこてのロシア民話です。画風もあのビリービンそのもの。ああ、ビリービンはどこに行ってもビリービンなのでした。
 

 特に感激したのは、原画5枚の中の1枚、表紙の試作です。(これは残念ながら図録には掲載されていません)ラフな図柄に鉛筆の下書きも生々しいではありませんか。へえ、何だか嬉しい。完成品を畏れ多く見てきた者としては、初めて人間ビリービンを垣間見たような気さえしたわけです。
 
 
 そう、何んといいますか、気分は、ボンジュール!ビリービンっていう感じでまじまじとしばらく原画と向き合いました。
 
 
 暑い暑い昼下がり。出かけていった甲斐あり!でした。

 
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ロシアの絵本・カランダーシ
 

2014年7月24日木曜日

ビリービン再訪(印刷について) 




アリョーヌシカとイワーヌシカより
 1901年から1903年にかけてビリービンの6冊の絵本が出版されました。『イワン王子と火の鳥と灰色おおかみ』『蛙の王女』『鷹フィニストの羽根』『うるわしのワシリーサ』『マリア・モレーブナ』『アリョーヌシカとイワーヌシカ・白い鴨』どれもロシアに伝わる民話の絵本です。ユーゲントシュテイル様式を取り込んだ表現、レーピンから学んだリアリズム表現が見てとれ、民話の世界の神秘性を伝える大変に美しい絵本たちの誕生です。

 

 これらの絵本は国立資料編纂所がドイツから印刷機と技術者を導入し、当時のロシアで最新の技術を見せるために企画されて作られました(「カスチョール6号」)。そして印刷は内閣造幣局(内閣印刷局)が行っています。なんと造幣局!です。最高峰の技術で印刷されたことは間違いありません。その後、ビリービンは、1904年からも同じく国立資料編纂所の依頼でプーシキンの昔話『サルタン王物語』『金鶏物語』の挿絵を手掛けます。これらの作品によりビリービンは、国内はもちろん、西欧でも高く評価され、世界の絵本の歴史にもその名前を残すことになります。

 

 
石版印刷の父
 印刷の方法は多色石版印刷(クロモリトグラフ)です。簡単にいうと平らな石灰石の上に直接絵を描き、水と油の反発の原理を利用して印刷する方法です。その「石灰石」ですが、印刷に適する良質なものは南ドイツでしか採掘されないらしいのです。ということは、ビリービンの絵本の版となった「石」もドイツから輸入していたのかもしれない」そんなふうに思っていたのですが…。


 

実は、このところ印刷のあれこれが気になり、本を読んだり、印刷博物館を訪ねたりしていたのですが、ある時、学芸員の本多さんという方にいろいろ質問をさせていただける機会に恵まれました。特に石版印刷の実際について、わからないことを教えていただいたのですが、ビリービンの時代のロシアの石版印刷の版の石についてもお聞きしました。答えは、ドイツのものを使ったはずだということでした。

 

ということは、印刷機も、10回以上と言われる色を重ねて刷る熟練の技術も、そして版となる石も、全てドイツからの輸入だったわけですね。大成功をおさめたビリービンの絵本の誕生にはドイツの印刷力の大きな後押しがあったわけですね。

 
印刷博物館

それにしても、当時のロシアで最先端の技術を世に示したいという国立資料編纂所の思惑があったにしても、造幣局のような部署で民話絵本を印刷するのには何かピンとこないものもありました。お札を作る造幣局がそんなことをしてもいいのでしょうか。実は、これについては、前述の本多さんから、大変興味深いお話をお聞きしました。それは、造幣局のような部署では印刷技術研究はとても大切なことで、そのために、印刷の「実験」をする…というお話。へえ、なるほど。もしかすると、当時のロシアの造幣局としては、ドイツの新しい石版印刷の機械と多色刷りの技術を、絵本印刷で「実験」するという目的もあったのかもしれませんね。また、実際は造幣局といっても、紙幣だけを印刷するだけではなくもっと幅広い仕事をしていたのかもしれません。

 


ところで、19世紀後半~20世紀初め、世界に目を向けるとでは絵本の印刷には様々な手法が使われていたようです。ケイト・グリナウェイは多色木口木版印刷、エルンスト・クライドルフは多色石版印刷です。そして1902年の『ピーター・ラビットのおはなし』はカラー写真製版による凸版印刷で、この絵本の成功が本格的カラー写真製版印刷の幕開けとなったそうです。

 

印刷という視点で絵本の歴史を見ていくのも興味深いです。

 

参考文献:カラー版「本ができるまで」岩波書店 
     「絵本とイラストレーション」武蔵野美術大学出版局 
    「ロシア児童文学の世界」国立国会図書館国際子ども図書館
 
 
 

 
 
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ロシアの絵本・カランダーシ

2014年6月19日木曜日

ロシア絵本画家と「バレエ・リュス展」

 





初日の国立新美術館の「バレエ・リュス展」に行ってきました。バレエ・リュスとは20世紀初頭のディアギレフ率いるロシア・バレエ団のこと。実はこの展覧会を知ったのがその初日当日の朝。ちょうど、ビリービンのことで「芸術世界派」について今週ブログでふれたばかりだったこともあり、突撃見学することに。

 

昼下がりの乃木坂は曇り空。湿度は高いのでしょうが、気温が低いので助かりました。でも、薄暗い展示室の中に入るとそこはもう別世界、時を経てなお華やかなバレエの衣装の数々が立ち姿で出迎えてくれます。公演ごとにまとめられて配置されている衣装たちの存在感!ディアギレフがパリを始めとする各国の観衆を驚かそう、楽しませようと仕掛けたバレエという「総合芸術」。衣装が特に重要な芸術であったことをその意匠や凝った手仕事からあらためて確認でき、納得です。本来、バレエ衣装は遠くで眺めるもの、こんなに近くでは当時の観客だって見ることはできなかったはず。近くだからこそ、大胆な手縫いの跡や、作り手の工夫や苦労?が見てとれて興味はつきません。

 

「青神」衣装は右端
 一番好きな衣装は、やはりレオン・バクストがデザインした「青神」のチュニックでしょうか。実は男性ダンサーの衣装だという驚きも含めて印象に残りました。パッチワーク、リボンテープ使い、刺繍、それに舞台できらきら光ったであろうビーズ的なものやボタン的なものがこれでもかと施されています。単純にダンサーは重くなかったのかなぁなどと心配になるくらいです。

 

 で、展示されているバレエ衣装の森を歩きながら、ふと、これらの衣装が人々を魅了し続けているのは、当時のダンサーの魂と拍手喝采の記憶が布地にしみついているからなんだろうと考えてみたり。また、そもそも衣装というものは。ダンサーの肉体と合体して初めて完成されるものだとしたら、今、この衣装たちが私たちに見せている姿は、不完全で虚しいもの…というか、実際、ダンサーが着て踊った時に一番輝くんだろうな、それを見たかったなと思ったり。本人?(衣装)たちも、もう一度舞台に立ちたいって思っているんだろうなと思ったり。貴重なものだから無理だけど、回して見せたり、光を当てたりっていう展示があっても面白いかなと思ったり。


図録の付録マンガ!
さて、今回の突撃見学ですが、もしかしたら、ビリービンがデザインした衣装があるかもしれない、舞台美術関連で何か見ることができるかもしれない…そんな期待が実はあったのです。絵本画家の他分野での活躍ぶりの「実際」を是非見てみたかったわけです。バレエ・リュスについては「第一回目の公演にビリービンも舞台美術で参加している」(「カスチョール8号」)とありましたし、衣装や舞台美術で結構活躍したのは確かなので、今回の展示で何らかの彼の仕事が見られるかも…という期待がありました。
 

結論から言いますと、今回展示されている各公演の制作者リストの衣装デザインにも舞台美術にも彼の名前を見つけることはできませんでした。ただ、ざざーっとしかまだ目を通していない分厚い図録「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」の中で、今のところ、たった一か所ですが、ビリービンの名前を見つけることができました。ディアギレフが1908年に上演したオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」についての記述で、第三幕「ポーランドの場」のデザインを担当したアレクサンドル・ブノア※(後述)が、いくつかの衣装はデザイナーのイワン・ビリービンによるスケッチを元に作ったとありました。バレエではなくオペラについての記述ですね。 

ブノアの絵本より
そして、ブノアはビリービンについて「彼はロシアの古い時代の歴史についての最高の有識者の1人だ」と言っています。ビリービンがロシアの歴史・民族研究をかなりやったということは知っていましたが、その研究がたいしたもの!だったという第三者からの証言です。芸術家仲間から一目置かれ、信頼されていたということがこの一文でよくわかりました。

 

 それで、先ほどの※アレクサンドル・ブノワ!ですが私としては絵本画家として知っているアレクサンドル・ベヌアと同一人物だと初めわからなくて、図録で知ってびっくり。(ロシア人の名前の呼び方って…しかし何故にブノア?)芸術世界派の主要メンバーとは知っていましたが、バレエ・リュスで衣装デザイナーとしてこんなにも活躍していたとは。しかも、ビリービンとオペラの衣装についてやりとりをしていたことが今回わかったわけです。

  ビリービンでは果たせませんでしたが、「ロシア絵本的日常」的には、ロシア絵本を通して知った画家の多才能ぶりの実際をブノアで間近に見ることができ、今回の突撃美術館見学はまずまずの収穫でした。行ってよかったです。

ロシアの絵本・カランダーシ

2014年6月17日火曜日

ビリービン再訪(絵本誕生まで)


5月に教文館で2回「ビリービン」と「レーベジェフ」についてお話をする機会を得ました。「島多代の本棚 絵本は子どもたちへの伝言」展でのギャラリー・トークです。そして、それは、私としてみれば、ビリービンとレーベジェフ再訪というか、再発見の機会となりました。当日、お話しできなかったことも含めてここにまとめることにしました。

  第1回目はビリービン。
 ざっくりとした生涯と作品は把握しているつもりだったのですが、さらに「へえ」とか「ほお」とか「だからなのか」とか「それにしても」とひとりごちながら、あらためて人となりや作品を知っていくこととなりました。トークのテーマは「ビリービンからの伝言」としました。展示会のテーマにかけたのですが、短い持ち時間(30分)だからこそ、テーマを設けて内容を収斂させなくては…との願いもありました。

 

【ビリービン絵本誕生まで】

今回のトークの準備では、09年の島多代氏の講演会でとったメモにあった「全ては関連している」という言葉が指針となりました。その絵本なり作家なりの経歴はもちろんですが、その背景、周辺を知るということですね。準備の時間は限られていましたし、できる範囲ででしたが。

 
イワン・ビリービン(☆)
まずは、歴史的背景のおさらいです。ビリービンが生まれたのは1867年。活躍したのが1900年初頭~。このあたりは帝政崩壊前夜。1861年に農奴解放がありましたが、生活が変わらぬ農民たちの運動、労働者のストライキ、ナロード運動(人民の中へ)などが高まりを見せ、19世紀終わりには社会主義党の誕生、1904年に日露戦争がはじまり、それがますます人民の生活を苦しめ、05年には血の日曜日事件が起こり…そして1917年の革命へ。とんでもなく大きな歴史の変化の波。その中でビリービンは何を思って絵本を作ったのか、ということになります。 



さて、一方で、ロシアの絵本の歴史を資料でたどります。おおざっぱにいえばビリービンからその歴史が始まったという記述も多いですね。ロシア絵本の一番星ビリービンです。しかし、「それ以前」および同時期の絵本についても(もったいない!ので)ここでは触れたいと思います。




ポレーノワ画(※)
 『ロシア児童文学の世界』(国立国会図書館国際子ども図書館刊)によると、19世紀後半、それまでは一部の貴族のためだけに作られていた挿絵入り児童文学書が、印刷技術の発達もあり安価になり市場に流通するようになり、西欧の模倣翻訳絵本などが出回りましたが、内容的な「質」はあまり高いものではなかったようです。これを「大衆児童文学のブーム」の時代というようです。

 しかし、これに対抗して、V.ヴァスネツオフ(18481926)、エレーナ・ポレーノワ(184198)、そしてエリザベータ・ビヨーム(18431914?)などが芸術性の高い絵本を発表しています。ヴァスネツオフは「移動展派」(ペテルブルク美術アカデミーに対抗する写実主義の画家たち、移動展覧会を各地で開く)の画家です。ビヨームは影絵作家としても活躍した女流画家です。




眠り姫(★)美しい!
  その中でもヴァスネツオフは、ビリービンに多大な影響を与えたようです。神学校を出、ペテルブルク美術アカデミーに入りますが移動展派に入り、最初は風俗画や版画で活躍、後にパリに留学、帰国後はロシア昔話や「ブイリーナ」(英雄叙事詩)を精力的に描きますが、1880年代からは宗教画を描くようになります。そして、1899年に開いた個展でビリービンが出合い衝撃を受けたのが「三勇士」という作品だということです(『カスチョール』8号より)ビリービンはこの絵との出合いを機に中世ロシア、昔話の世界に目覚めてゆくことになるのですね。


ヴァスネツオフの画集を見ていると、昔話の絵は神秘的でロマンにあふれ確かに魅力的です。壮大さを感じさせる空間描写など、お話の世界の広がり感じられるし、ひいてはロシアの国の雄大さを表現しています。そしてビリービンに影響を与えたという「三勇士」。勇士たちは凛々しく、馬たちの力強いいななきが聞こえてきそうです。ひとことでいえばかっこいい、です。背景には広大なロシアの草原と空が広がります。この草原を吹き抜ける風がビリービンのロシア魂に火をつけたんですね。ただ、描かれた当時はこの一連の昔話系の絵画は、移動展派らしからぬってことで評価されなかったようですが。


「三勇士」(★)雄々しい!
さてさて、ビリービン本人がその「三勇士」に出合うまでの道のりです。まず、1867年、法律家の家に生まれたという資料と医者の家に生まれたという資料があり…。ただ、本人は法律を学ぶために大学に入ったようなので、法律家に軍配でしょうか。医者にしても法律家にしても身分のある知識層出身です。(そしてこのことは、ビリービンを考える上でとても重要だということが今回あらためてよくわかったのですが)幼いころから絵を描き続け絵画教室に通い、そして、大学時代にドイツに留学します(意外に短くて2ケ月だそう)。ユーゲント・シュテイル「現場」に身を置き、その影響をおおいに受けます。



余談ですが、このドイツ滞在中、調べてみたら実はあのスイスの絵本画家エルンスト・クライドルフ!もドイツに滞在していたことがわかりました。どこかで、二人はすれ違っていたかもしれない…。これは私にとってちょっとドキドキするような発見でした!ですが、ギャラリー・トークの時間は短いので、もちろんそんな話はとても挟みこめる余裕はありませんでしたが。



レーピン「ヴォルガの船曳き」
 それで、ビリービンは帰国後(1898年)、イリヤ・レーピン(18441930)に師事します。実は、素人的見地から、ちょっとまって、レーピンといえば写実性・反美術アカデミーの移動展派!ドイツでユーゲントシュテイルの影響を受けて帰ってきたビリービンお坊ちゃん?がなぜレーピンに師事を仰ぐのか…とちょっと思ってしまったのですが、そんなことは思ってはいけない、のですね。ひとことでいえば、偉大なるレーピン先生、ということなのだと思います。素晴らしい師のもと、ビリービンは必死で絵の創作にはげみ、写実表現の腕を磨きます。(資料によると、その後レーピンは、美術アカデミーに戻ってきたそうです。)そしてビリービンは、この流れでレーピンと親しいヴァスネツオフの作品と出合い、本人とも会う機会を得ています。



  そして、このあたりで、ロシア芸術シーンに、アンチ移動展(末期)派の「芸術世界派」が登場してきます。ビリービンもその仲間となります。「芸術世界」とは雑誌の名前で、当時の西欧美術を取り入れつつ、18世紀美術の復興を目指したこの芸術運動はバレエの舞台美術(デイァギレフ率いるバレエ・リュスのパリ公演の成功:ニジンスキーとアンナ・パブロワの公演なども)や装丁などにも及びます。




ベヌア画(※)
ここで、ちょっと「芸術世界」派での代表的な画家といわれているアレクサンドル・ベヌアについて触れておきます。彼が作った「アーズブカ」というロシア語のアルファベット絵本の美しさといったら…!!溜息ものです。




かくして、ビリービンは、この「芸術世界」の挿絵の仕事、そして展覧会での昔話のイラストが目にとまり、1901年~03年にかけての怒涛の6作の絵本出版にこぎつけるわけなんですね。





参考文献:
※『ロシア児童文学の世界』(国立国会図書館国際子ども図書館)
『カスチョール』8号(カスチョール)
★『ヴィクトル・ヴァスネツォフ(18481926)画集』 (大画家シリーズ)露版
『イワン・ビリービン 生涯と創作画集』露版
『ソビエトの絵本1920-1930』(リブロポート)
『スイスの絵本画家 クライドルフの世界』(Bunkamura
『絵本の歴史カレンダー 2014イワン・ビリービン』(東京子ども図書館)


ロシアの絵本・カランダーシ