この夏、八ヶ岳にある薮内正幸美術館に行った。その高原の静かな環境に佇む原画美術館は木造りで、一人で訪れた私を優しく迎えてくれた。館内では「親子の姿」展が開催されていた。「どうぶつのおやこ」(福音館書店)出版50年を記念した企画だ。きれいに印刷された絵本の絵はひらぺったいけれど原画は画家の描くプロセスの「層」をつぶさに見ることができる。薮内さんは動物の毛一本一本を描ききる画家だ。その精緻な時間の積み重ねをゆっくりじっくり見ることができた。
今、やはり手元にある古い動物の親子を描いた絵本「どうぶつのおかあさん」を見ている。
原画展にもこの中の作品が展示されていた。この絵本はあらためてとてもいい絵本だと思う。お母さん、というものは何なのか、という問いがあるとしたら、この絵本を差し出したらいいかもしれない。子どもはきっとこの絵本中のの子どもの動物に自分を置き換え、咥えられたりすることにびっくりしながらも、親子の絆というものを感じとるだろう。これからお母さんになる人に読んでもらうのもいいかもしれない。私自身はといえば、ふにゃふにゃの赤ん坊を何とか育てなきゃと頑張っていた頃を思い出して何だか胸の底が熱くなる。命を守らなきゃという本能的な思いを動物のお母さんたちと共感できるのだ。
美術館の帰り際、館長である薮内さんのご子息竜太さんと少しお話をさせていただいた。画家薮内正幸さんのことを「天才ではないけれど、天才的に動物が好きだった」と仰った。誰に教わることなく動物の絵を描き始め、小学校3年のころには学者さんと絵や質問のやりとりを始めていた少年時代。そしてその学者さんとの縁が、本格的な動物図鑑の描き手を探していた松居直さんとの縁に繋がったそうなのだ。高校卒業後に上京。福音館書店に入社。まずは上野の国立科学博物館に通いひたすら剥製の動物たちのデッサンを重ねる日々を送る。動物画の肝は骨格。骨の仕組みが分かっていないと正確に描けないのだ。確か宮崎駿さんが「なかなか馬の脚を描ける人はいない」と何かに書いてていたように思う。まずは骨の仕組みがわかってないと描けないのだ。骨格そして筋肉、血管…解剖学の領域だ。もちろん、わかっていても描けるかは別。薮内さんは、もともとの知識や表現力に加えて、博物館でさらに科学的な見地に基づいた知識、対象をしっかり見る観察眼を鍛え、それを表現するだけの画力の修練を重ね、動物画家としての礎を築き、その後も真摯に動物描写の道を歩んできたからこそ、後に挿絵などで「紙の上で、解剖学的にも正しく動物を自由に動かして表現することができる」領域に到達することができたのだ、とのお話をうかがった。お聞きしながら、竜太さんにとって正幸さんは本当に尊敬してやまない画家、そして父親なのだということが伝わってきた。そのことに私は静かに感動した。
ここで、また、実は私はロシアの動物画家ラチョフのことを思っていた。モスクワにある彼の住まいをたずねた時、やはり義理の息子さんが同じようなことを話してくれたのだ。地道なデッサンの修練があったからこそ、紙の上で正確な形状で動物を動かし、また服を着せることができた、ということだった。そんな話を竜太さんにその時したのかしなかったのか覚えていないのだけれど、竜太さんから薮内さんとラチョフの意外な作品を通しての接点を教えてもらった。
薮内さんの初めての動物画絵本「くちばし」(福音館書店)の制作は、ロシアのラチョフ画版「くちばし」を見たことによるのだそうだ。ロシアの動物文学者、ビアンキ文のこの様々な鳥たちが出てくるお話を初めての動物画絵本制作に選んだ薮内さん。なるほど、納得の選択だと勝手に思ってしまう。くちばし自慢をする鳥たちが次々登場する図鑑絵本のような内容なので、子どもたちはきっといつのまにか鳥の種類を覚え、自然の中に生きる生き物たち個性を驚きをもって知るはずだ。
こどものとも版 |
昨今は、どんな動物でも珍獣でも何でも、画像や動画でその細部にいたるまで簡単に見ることができる。それはそれで素晴らしいことだ。一方、私は正確に対象を写し取り細かく筆で描いた博物図のような絵を見ることが好きだ。その魅力のひとつに正確に描いてはいるものの、その画家の個性が滲み出てしまうところ、というのがある。薮内さんには薮内さんの個性がある。ひとことで言えば、それは端正と言うことなのかもしれない。まずとにかく輪郭が美しいと思う。しかし端正だけれど、決して冷たいというのではなく、描かれているのは確かに生きている命の存在だ。眼差しの光の点、柔らかな光をまとった毛並みなどから私たちは温もりを受け取る。静かな絵のようでいて、実は私たちに訴える情感のようなものが溢れている。それからどんな動物たちも尊厳をもって描かれていると思う。天才的に動物が好きだったという、その「好き」の言葉は相手を尊重し、大切にする心なのだろうと思う。全ての作品を知るわけではないけれど、そんなふうに思っている。
子どものとも復刻版 |
そういえば、私はラチョフの描いた「くちばし」の絵をどこかで確かに見た記憶がある。あるのだ。でも、残念だが、それが、いつだったのか、どこだったのか今は思い出せない。鳥たちが並んでいるイメージだけが頭の片隅に保存されているのだけど。
もちろん、猛烈に見たいと思っている。
人生の宿題だ。
薮内正幸美術館;https://yabuuchi-art.jp/index.html
「ロシア絵本的日常」過去のタイトルリスト:http://lucas705karandashi.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html
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