2014年1月19日日曜日

動物に服を着せること…ラチョフの挑戦


 
どちらも人間のよう
ラチョフが描く服を着た動物たち。
動物ですが人間くさい。でも、はらりと服を脱げば、あっと言う間に4脚歩行でどこかに逃げていきそうな動物としてのリアルもしっかり持っている。(後年は軽快な表現になっていったようですが)リアルすぎて、「挿絵のこの狼はこのうさぎを次の瞬間食べるかもしれない」なんて思ったり。そんなぞわぞわとした緊張感もありますね。

 

さて、
1930年代後半からは社会主義リアリズム表現以外認められないなくなった時代に突入するわけですが、もともと写実的な動物画を描いていたラチョフですから、大きな影響はなかった。…と思っていましたが、そんなことはなかったようですね。

 

第二次大戦後、復員したラチョフは、ある日、動物民話の挿絵の依頼を受けます。動物民話とは、もともと動物そのものの特性をいかして作られたものではなく、動物に人間性を投影したお話です。これを表現するために、ラチョフは初めて動物に服を着せてみたそうです。服を着せたとたん、動物たちは動物でありながら人格をもった人間のような存在となり民話の世界でいきいきとその役割を果たし始めました。ラチョフにとってこれは大きな発見であり、新たなる境地への第1歩だったのです。

 

動物表現のリアルさ
でしたが、でしたが、
出版社はこの挿絵の採用に数か月も「待った」をかけたそうです。ラチョフは民族性や職業や階級や貧富の差などを服装でそれこそリアルに表現しましたから、挿絵の動物たちには人間社会が色濃く反映され、その動物たちが「社会的な存在」として体制批判を表現しているように見えるのでは?と思われたのが原因だったのです(参考:「カスチョール21号」)

 

そのような状況であっても、ラチョフは服を着せる方向性を変えませんでした。動物に服1枚着せること、それは、その時代、覚悟のいる挑戦だったんですね。「私は昔話の本質‐動物が、同時に性格の特徴や人間関係に対する評価をも伝えるという本質を描きたいのです。私は何よりもこのことに惹かれています」(「カスチョール11号」)

 

そう、そう、
ラチョフはとりわけ動物民話の挿絵を描くことを喜びとしていました。動物と民話と…。この二つは、大自然の中、母親と離れ祖母と暮らしたラチョフの少年期の心を育んだ、ある意味、大切な友人とも、教師ともいえるような、そんなとても身近で大切な存在でしたね。動物は間違いなく、そう。民話についても、きっと、たぶん、そう、だと思っています。

 

スタイリッシュ?
もちろん、私はラチョフのすべての作品を知っているわけではないのですが、民話以外のお話の挿絵もいくつか見たことがあります。風刺のきいたなかなかスタイリッシュな動物たちが登場する挿絵絵本なども描いていますね。それはそれでとても素晴らしく魅力的です。でも、ラチョフの真骨頂はやはり動物民話画にあるといえるのではないかなと思っています。

 

「わたしは動物の絵をかくのが大好きです。わたしは動物に洋服を着せたり、ステッキを持たせたりと、人間のようなイメージを重ねてみるのが好きだからです。キツネにはずる賢さ、クマには人の良さなど…。そうした想像をしながら絵をかくと、楽しくて、楽しくて時のたつのを忘れてしまいます。…」(学研ワールド絵本224号「ねことつぐみとおんどり」あとがきより)

 

「楽しくて、楽しくて」ですか。それはよかった!


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 ラチョフ画「うさぎのいえ」
 ロシアの絵本・カランダーシ

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