芸術を学んだマヤコフスキーはまた、「ロスタの窓」の描き手としても大活躍しました。「ロスタの窓」、それは手描きのプロパガンダイラスト新聞。このポスターをコマ割りのように4から14に分割して描く方法はマヤコフスキーの功績だそうです。
「ロスタの窓」(コンタクトクリチューラ社)という本が2010年にロシアで出版されました。(上の自画像と下のポスターイラストはそこから転載しました)掲載作品は総じて、政治的・社会的事象を抽象化して短いテキストと一緒に表現しています。大変わかりやすく風刺がきいていてインパクトがあります。きっと多くの人々に強烈な印象を残したでしょう。全作品を通して赤色で表現されているのはたぶん労働者、市民だと思われます。見る人の側にも立ち、まさに呼びかけているような印象です。このような「ロスタの窓」だけの画集のような書籍が今ごろ発行されているということは、その芸術性にロシアで注目が集まっているからなのでしょうか。
そのマヤコフスキーが力を注いだのが、子どもたちへの詩だったんですね。しばしば子どもたちのために朗読会を開き、こういう詩を書くことに熱中したというのです。「火のお馬」「いいことってどんなこと、わるいことってどんなこと」「海と灯台の私の本」などは絵本になり現在日本でもその詩の世界に触れることができます。
「海と灯台の本」では子どもたちに「行く手を照らす灯台のようであれ」と伝えています。この絵本は「ソビエトの絵本」(リブロ)の表紙にもなっており、ロシア絵本黄金期を語る際に必ず代表的な絵本として登場します。ダイナミックでデザイン性にも優れた絵は大変魅力的です。で、ありながら、有名なこの素晴らしい絵の描き手であるポクロフスキーという画家が一体誰なのかわかっていないというのです。それこそが、このアヴァンギャルド弾圧の時代を象徴する事柄であると「海と灯台の本」(新教出版社)あとがきでは述べています。
さて、マヤコフスキーですが、自らは37歳でピストル自殺をする詩人が一体子どもたちに何を伝えようとしたのでしょうか。それらの子ども向けの詩は、新しい社会を切り開いていく子どもたちへのメッセージ、遺言のようにも読むことができます。詩人は理想社会への願い、思いを子どもたちに託したのです。
それにしても、なぜ、マヤコフスキーは死ななくてはならかなったのか。その革命詩人は、「私はすべて作られたものの上に虚無(ニヒル)を置く」と語り、終生の愛人のほかにも多くの女性にかこまれ、抒情詩500数十編、叙事詩19編、詩劇7編、映画脚本9編、おびただしい数のエッセイ、評論などを残しました。
自殺について、「マヤコフスキー選集Ⅲ」(飯塚書店)の中で関根弘氏は「根本のところは、アヴァンギャルド芸術と社会主義リアリズムの対決、アナーキズムとボルシェビイズムの対決の帰結点ではなかったであろうか」としています(難しいな)
革命詩人マヤコフスキーは、美男子で芸術家でニヒリスト。敵も多かったようです。他殺説もあるようですし。でも、何より、ひたひたと忍び寄る過酷な時代への兆しにその鋭い感性の耐性が脅かされていたことは間違いないでしょう。
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「火のお馬」 詩:マヤコフスキー |
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