2016年6月20日月曜日

マトリョーシカをめぐって

 
「マトリョーシカとロシアの玩具展」風景
昨年ロシアに行った際、ヴェルニサーシという民芸品の大きな市場で素朴な表情ときれいな色合いが気に入って小さなマトリョーシカ人形を買いました。中に4体のマトリョーシカが入っていて、並べて飾っていると何だか楽しい気分になりますしとても気に入っています。

そう、こんなふうにロシアに行けばマトリョーシカ!と思っている方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。ロシアのおみやげの代表選手ですね。日本では特に大人気で輸入量が世界一だと先日のマツコの知らない世界でも言っていました。

最初期のマトリョーシカ
そんなマトリョーシカ。その誕生は1890年代、国をあげての伝統工芸復興の気運高まる中、鉄道事業を始め文化事業、伝統工芸、玩具制作など手掛けていたアナトリー・マモントフ夫妻がモスクワに開いた「子どもの教育」という店の工房「子どもの教育」で生まれました。旋盤工はズビョーズドチキン、画家はマリューチンです。画像は同じ作家の作品です。(スペースシャワーブックス刊「ロシアのマトリョーシカ」より)

マトリョーシカを作るにあたっては日本の箱根の入れ子細工人形を参考にしたという説が有力とされています。マトリョーシカはその後1900年のパリ万博で注目され一躍世界で愛されるロシアの民芸人形ナンバーワンの存在となってゆきます。

「マトりリョーシカちゃん」福音館書店刊
箱根の入れ子人形が遠いロシアの地のマトリョーシカ誕生に影響を与えたとするならば、絵本の世界でもこのマトリョーシカにまつわる国を越えた関わり合いがあります。加古里子さんの「マトリョーシカちゃん」(福音館書店)という絵本があります。2013年「母の友」10月号(福音館書店)によると、この絵本出版は、加古氏が集めていたソ連時代のロシアの絵雑誌の中の1冊との出合いがきっかけだということです。

加古氏はこの雑誌の中のマトリョーシカの絵話に感心して、最初は機関誌に掲載し、後に日本語版の絵本として「マトリョーシカちゃん」を出版したのです。内容は、マトリョーシカちゃんが4人の名前でお客さんを招待しますが、次々やってきたお客さんはマトリョーシカちゃんしかいないのでおこりだし…。いうマトリョーシカの特長を盛り込んだ可愛らしいお話です。

そして、このロシアのマトリョーシカの絵話と加古氏の出合いの物語はこれで終わりではありませんでした。当時、どうにかして日本の民族性を表現した絵本が出せないかという気持ちを持っていた加古氏は、「マトリョーシカちゃん」を見て、「郷土玩具は、我々の先祖のセンスと思いが表れたものとしていいな、これはいただこう…」(前述「母の友」より)とひらめき、日本の郷土玩具の絵本を作ろう!と思いいたったというのです。それでできたのが、ごぞんじ「だるまちゃん」絵本だったんです。

その誕生に日本の郷土玩具がヒントを与えたとされるマトリョーシカ。それが絵話となり雑誌に掲載され、はるばる日本へ来る、それを見た日本の絵本作家がインスピレーションを得て日本の郷土玩具だるまの絵本を作っているんですね。(そして加古氏の「だるまちゃん」シリーズは世代を超えて愛され続けている人気絵本であることは周知の事実)
1920-30年幻のロシア絵本「おもちゃ」より

加古氏も言っていますが、だるまのルーツをたどれば印度にいきつくでしょう。でも「真っ赤な色と手足をなくしたあの形は日本人の感性が作り上げたもの」であり、同じくマトリョーシカも日本の七福神人形がベースにあったとしてもロシアの伝統と技術と民族意識、美意識などが結集され、新しく創造されたものです。(ここまでくると、七福神人形の誕生の背景も気になりますが、きりがありませんね)

文化というものが、海を越え、国を越え、時代を越え、影響し合い、刺激をし合って、そして新しい創造の展開を見せていくさまは、あたかもマトリョーシカの入れ子がどんどん出てくるようなイメージ、と思うと楽しいかもしれません。

さて、実は、私は今回いろいろ調べる中で、箱根の七福神人形という自国の郷土玩具の姿、形を本のページ上の写真でですが、初めて見ました。これまで箱根に出かけた際出合っていたのかもしれませんが、関心がなかったせいか、残念ながら記憶にはなく…今まで知らなくてごめんさないという感じです。

めぐりめぐって、マトリョーシカに教えてもらった七福神人形。ぜひ本物が見たくなりました。



参考文献:「ロシアのマトリョーシカ РУССКАЯ  МАТОРЁШКА」
        スペースシャワーブックス刊
       「母の友」2013年10月号 福音館書店刊





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