2012年9月26日水曜日

子どもたちへ-マヤコフスキーの思い

ロシア絵本黄金期を語る上で、「同志」ウラジミール・マヤコフスキーという詩人を登場させないわけにはいかないでしょう。「「私の革命-ウラジミール・マヤコフスキーは、1917年の10月革命をそう呼びました。ロシア革命ののものを生き、自分のこととして語ることができた、数少ない詩人です」(芸術新潮2004年7月号)

芸術を学んだマヤコフスキーはまた、「ロスタの窓」の描き手としても大活躍しました。「ロスタの窓」、それは手描きのプロパガンダイラスト新聞。このポスターをコマ割りのように4から14に分割して描く方法はマヤコフスキーの功績だそうです。

「ロスタの窓」(コンタクトクリチューラ社)という本が2010年にロシアで出版されました。(上の自画像と下のポスターイラストはそこから転載しました)掲載作品は総じて、政治的・社会的事象を抽象化して短いテキストと一緒に表現しています。大変わかりやすく風刺がきいていてインパクトがあります。きっと多くの人々に強烈な印象を残したでしょう。全作品を通して赤色で表現されているのはたぶん労働者、市民だと思われます。見る人の側にも立ち、まさに呼びかけているような印象です。このような「ロスタの窓」だけの画集のような書籍が今ごろ発行されているということは、その芸術性にロシアで注目が集まっているからなのでしょうか。

そのマヤコフスキーが力を注いだのが、子どもたちへの詩だったんですね。しばしば子どもたちのために朗読会を開き、こういう詩を書くことに熱中したというのです。「火のお馬」「いいことってどんなこと、わるいことってどんなこと」「海と灯台の私の本」などは絵本になり現在日本でもその詩の世界に触れることができます。

「海と灯台の本」では子どもたちに「行く手を照らす灯台のようであれ」と伝えています。この絵本は「ソビエトの絵本」(リブロ)の表紙にもなっており、ロシア絵本黄金期を語る際に必ず代表的な絵本として登場します。ダイナミックでデザイン性にも優れた絵は大変魅力的です。で、ありながら、有名なこの素晴らしい絵の描き手であるポクロフスキーという画家が一体誰なのかわかっていないというのです。それこそが、このアヴァンギャルド弾圧の時代を象徴する事柄であると「海と灯台の本」(新教出版社)あとがきでは述べています。

さて、マヤコフスキーですが、自らは37歳でピストル自殺をする詩人が一体子どもたちに何を伝えようとしたのでしょうか。それらの子ども向けの詩は、新しい社会を切り開いていく子どもたちへのメッセージ、遺言のようにも読むことができます。詩人は理想社会への願い、思いを子どもたちに託したのです。

それにしても、なぜ、マヤコフスキーは死ななくてはならかなったのか。その革命詩人は、「私はすべて作られたものの上に虚無(ニヒル)を置く」と語り、終生の愛人のほかにも多くの女性にかこまれ、抒情詩500数十編、叙事詩19編、詩劇7編、映画脚本9編、おびただしい数のエッセイ、評論などを残しました。

自殺について、「マヤコフスキー選集Ⅲ」(飯塚書店)の中で関根弘氏は「根本のところは、アヴァンギャルド芸術と社会主義リアリズムの対決、アナーキズムとボルシェビイズムの対決の帰結点ではなかったであろうか」としています(難しいな)

 革命詩人マヤコフスキーは、美男子で芸術家でニヒリスト。敵も多かったようです。他殺説もあるようですし。でも、何より、ひたひたと忍び寄る過酷な時代への兆しにその鋭い感性の耐性が脅かされていたことは間違いないでしょう。


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「火のお馬」
詩:マヤコフスキー
ロシアの絵本カランダーシ


2012年8月15日水曜日

映画と絵本。コナシェーヴィチ

「バスケットの中のねこ」1929
ウラジミール・コナシェーヴィチ(1888-1963)。
「芸術新潮2004年7月号」では、黄金時代の「もうひとりの巨匠」と紹介されています。そう、ロシア絵本黄金期を牽引したレーベジェフとまさに時代のダブルセンターをつとめた絵本作家です。新しい表現力で目を見張らせたレーベジェフとは異なり、コナシェーヴィチの絵はどこか懐かしさを感じさせるディテールにこだわった描き方をしています。そう、彼の出目はビリービンと同じ「芸術世界派」なんですね。

「子どもはリアリストである。それも筋金入りの。子どもはモノを正確の、すべての特徴をもらさず描きこみ、それと同時に単純にわかりやすく描くように要求する」(「幻の絵本1920-1930年代」淡交社より)と彼自身が述べていますが、なるほど正確さと具体性に力を注いだ表現が特徴です。いいかげんなデフォルメなどもちろん、「子どもだまし」を最も嫌ったのだと思います。で、画風は異なりますが、コナシェーヴィチは、もうひとりのウラジミール、レーベジェフを物事の本質をとらえ表現する作家として認めて評価していました。


「電話」1936
レーベジェフがマルシャークとコンビを組んで名作を次々と生み出したように、コナシェーヴィチにはコルネイ・チュコフスキー(1882-1969)というよき相棒がいました。でも、コナシェーヴィチの代名詞ともいえる絵本「火事」はマルシャークとのコンビで生まれたんですね。この絵本は留守番をしていた女の子が火事を出してしまうのですが、消防隊がきて火を消し、飼い猫も助けてくれるというハラハラドキドキ、緊張感が半端ない内容。その緊迫感あふれる展開をコナーシェヴィチは「映画技法」を用いて表現しました。


「火事」1932
「映画そのものの様式、そのダイナミズム、局面の急速な交代、移行の大胆さが、このころ絵本に入ってきた」(「ソビエトの絵本1920-1930」リブロより)とあるように、つまりは映画のワンカットを切り取ったようなページ絵がどんどん展開していくということなんですね。コナシェーヴィチの正確な表現が、「あたかも映画のような」絵本作りを成功させていると思います。最初はストーリーを追って、2度目はゆっくり細部を見る。そんな映画みたいな絵本の楽しみ方ができますね。


1本の映画、1冊の絵本。どちらもいかにして物事やお話を「実際あったもののように」表現し伝える媒体という見方をするならば、共通点があるという考え方ができますね。同じ土俵で考えたことはなかったのですが、映画の表現を絵本に積極的に取り入れるという視点が大変興味深いです。しかも、映画は絵本よりもずっと後で出てきたものです。そのように新しいものに刺激を受け、絵本制作にいかそうとチャレンジし、実績を残し、絵本の革命の一翼を担い活躍したコナシェーヴィチ。さすがです!


そして私は多くの作品を知っているわけではないのですが、その作風にとても魅力を感じています。ペンで縁取るラインからは温もりを、また色彩の選び方に優しさや品位を感じます。プラス、何んといってもちゃめっ気のようなものも感じられるのがいいですね。きちんと描かれていながら、気負いを感じさず親しみやく仕上げられている。子どもに渡す絵本にとって、それはとても大事なことです。読者へ優しい声で直接語りかけるような、そんな絵本だと思います。味わい深いです。できるならどの絵本も見てみたいですね。



しかし、しかし、やがては弾圧の黒雲がやってきて、コナシェーヴィチを追い込みます。生命は守られましたが、多くの仲間が犠牲になり、思ったように絵を描けない日々を耐えなくてはなりませんでした。そして、残念ながらそれは映画ではなく現実でした。先が見えないストーリー。そして、暗闇で覆い尽くされた時代のページをめくるのには大変多くの時間が必要だったのです。


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「プーシキン民話集/
ブィリーナ(英雄叙事詩)」5040円
ロシア絵本「カランダーシ」


「入り江のほとり」3150円













2012年7月13日金曜日

レーベジェフとはりねずみの背中

「幻のロシア絵本1920-30年代」(淡交社)より
ロシア絵本の黄金期の旗手、レーベジェフ。「絵本の王様」とも呼ばれていたとあります。その時代の多くの素晴らしい絵本は世界でも高い評価を得、パリに亡命していた大詩人マリーナ・ツヴェタワーはく「ロシアの絵本は世界でいちばんです」と言っています。

しかし、輝いていた青空に黒雲がたちこめてきます。「スターリンの独裁政治のもと、1932年、すべての造形グループは解散を命じられ、唯一許されるのは「社会主義リアリズム」だという悪夢のような状況を迎えるのです」(「芸術新潮2004年7月号」)

「カスチュール29号」
(カスチョールの会)
つまり「…絵と実物を正確に一致させ、内容をプロレタリア階級に向けて「正しく」方向づけることが、芸術に許される唯一の手法となった」(「幻のロシア絵本1920-30年代」淡交社)ということなのです。それでも最初、厳しい目は「大人の」芸術部門に向けられていたのですが、ついに1936年1月全連邦レーニン共産主義青年同盟中央委員会において児童図書に関する協議が行われ、同年3月1日付けの政府機関紙の社説でレーベジェフは「汚しや・三文絵描き」と批判されるにいたり、以降、大変残念なことに多くの作家が逮捕され、また銃殺されてしまうのです。

レーベジェフは捕まることはなかったのですが、その作品からはつらつとした輝きは完全に奪われてしまいました。(一番上の画像)生きながらに葬られたとも言われています。

[しずかなおはなし」福音館
そして、レーベジェフは、そんな長い暗いトンネルのような時代のさなかから、やがて再び自由な表現が許される1950年代以降まで、絵筆を持ち続け、マルシャークと共には『森は生きている』や『しずかなおはなし』などの作品を残しました。しかし、あの黄金期のような絵の表現はもう戻ってくることはありませんでした。そしてマルシャークは1963年に、レーベジェフ自身は1967年にその生涯を閉じます。


レーベジェフ自身の心のうちを知るすべはありません。雑誌『カスチョール29号』(カスチョールの会刊)というロシア児童文学の研究専門雑誌では、レーベジェフ生誕120年ということから特集が組まれていました。大変詳しくレーベジェフの生涯や時代背景のことなど書かれており、大変参考になったのですが、その中で、レーベジェフの父親が機械技術師であったこと、少年時代にボクシングやサッカーで身体的鍛錬をしていたこと、解剖学やデッサンの修練を積んでいたことなどを知りました。

困難の中で、制約の中で絵本を描くことを続けたマルシャーク。逮捕、銃殺、そして亡命や、絵筆を折る、自殺など、多くの仲間が創作の場から姿を消していった中で、絵本を作り続けることをやめなかったレーベジェフ。これは私の想像ですが、そのひとつの背景には、地道に技術を用いてもの作りをしていた父親の姿を見て育ったこともあるのかなと思いますし、また、生きてゆく根本部分、すなわち身体的なタフさがあったこと、そして、これは大きいと思うのですが、あらゆる表現に対応できるだけの技術を有していたこと、などもあるのかなと思いました。また描き続けることに理由づけは必要ないのかもしれません。それが彼の仕事であり生きることそのものだったと考えるならば。


そう、そして、レーベジェフが生涯描き続けたことで、後年、私たちはロシア絵本の黄金期の「はじまりと終わり」を一人の作家の作品を通して歴然と知ることになります。今年は生誕120年。そんなに昔の話ではないということにあらためて気づかされます。

マルシャークと作った「しずかなおはなし」(福音館書店)という絵本があります。はりねずみの親子はしずかにくらしていましたが、オオカミに見つかってしまいます。はりねずみはとげを逆立てて、じっとじっとまるくなって難を逃れます。このはりねずみの姿にレーベジェフを重ねるのは勝手なことかもしれません。当のはりねずみに何か尋ねてみましょうか。でも、あいにく最後の最後、裏表紙で、はりねずみは、まるまって後ろを向いており、何も答えてはくれないのです。でも、その背中にはたくさんの「とげ」があることを忘れてはなりません。


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ご注文は
ロシア絵本「カランダーシ」

「ラチョフ動物民話集」
現在損保ジャパン東郷青児美術館にて
「ちひろと世界の絵本画家たち」にて
ラチョフの原画も展示中。






2012年6月13日水曜日

宮崎駿アニメとビリービンのつながり

6月2日から三鷹の森ジブリ美術館http://www.ghiblimuseum.jp/news/007627.htmlで「挿絵が僕らにくれたもの展 ―通俗文化の源流―」という特別展示が始まり、行ってきました。この中でビリービンの作品も紹介されるというのですからとても楽しみだったのです。今回はその報告です。

小さな子どもたちを連れて行ったのは結構昔のこと。いい機会なので久しぶりに家族4人で出かけました。到着して目をひいたのは、いい感じに緑に覆われてる建物の外観。壁面にはツルの額紫陽花や、ムベの実がなっていたり、植え込みには八重のドクダミが…。植物観察に再度来たいくらいの植物の充実ぶりでした。

さて、今回は、常設展示「映画の生まれる場所」をじっくり見ることができました。小さい子どもが一緒だとなかなか時間をかけて向き合うことができない場所でしたので、自分のペースでゆっくりと。アニメ制作を目指す子どもが出てほしいという意図もあっての展示だそうですが、すでに充分大人の自分にとっても刺激があり、人生で忘れてきた「何か」を触発されてしまいました。

そして、特別展示です。ビリービンのコーナー。昔話集などから集められた挿絵1枚1枚に、宮崎駿さんのコメントがついていました。アニメーションとビリービン、どうやって結びつくのか想像できなかったのですが、宮崎氏のコメントにその答えがありました。

たとえば、ビリービンの描く「海の波」。波頭や水面のとらえ方に触発されて「波は動かせる」と思ったとありました。当たり前ですが、素人が見る見方とは違うわけですね。コメント全てが「アニメーションにいかせるぞ!」という発見の紹介なのです。当然といえば当然か。雨雲、夜の闇、水面、夕暮れ…どうやったらアニメーションとして皆に伝えることができるのか、宮崎氏の苦心と、またアニメーションの「奥行き」を素人なりに知ることができたのは私にとって発見であり収穫でした。

ビリービン画「バーバヤガー」
その中で、興味深かったのが、「植物の描き方」についてでした。宮崎氏はアニメにおいても「種類が特定できるよう描きたい」という思いがあるということで、たとえば、ロシアの魔女的存在のバーバヤガーが描かれている森の絵。ここで枯れ枝が「トウヒ」とわかる描き方に「理想」であるとのコメントがついていました。

ビリービンは、ユーゲント・シュテイル花盛りのドイツで西欧文化を吸収し、ロシアに戻って西欧の技法を用いながらもロシア固有の民族性や特色を重んじた作品を残しました。民話を描き、ロシアの根幹的心の故郷の風景を描きました。その心の故郷の風景に、ロシアの「森」は欠くことができない絶対的風景だったわけですね。

そう、そして、その森の植生はもしかすると日本人が考えるよりも重要なのではと思います。以前、ロシアの人にロシアの国の花が「ひまわり」だと伝えたら、首をかしげられました。彼らにとってロシア=白樺だというのです。花よりも樹木が祖国をイメージできるアイコンなわけです。樹木の描き分けは、ロシアの魂を表現したいビリービンにとって必然だったのではと思います。ロシアの森には「トウヒ」や「白樺」がないと始まらないのです。

ビリービン画:ダイナミックな構図です!
宮崎氏に影響を与えたビリービン。宮崎氏がビリービンに魅かれた理由は、ビリービンが舞台芸術家としても活躍した作家であったこともおおいに関係しているのではと思います。ビリービンの絵はなるほど、そのまま演劇のワンシーンのようなものが多いです。登場人物はわかりやすい(伝わりやすい)表情で、まるで役者が今目の前でそのシーンを演じているようにも見えます。構図もとても効果的に見せる描き方だと思うのです。そして「舞台装置」としての背景や衣装、細かい小物にいたるまで、手を抜かない「演出」がほどこされています。

ビリービン画:オオカミに乗っています。
この二人の表現者の共通点は、まさに物語がいのちを得て「動く」ことに心砕いて作品を生み出しているところにある!そんなふうに思いました。ビリービンが存命で、アニメーションを作ったら…それはなかなか楽しい想像です。


で、パラパラと手持ちのビリービン絵本を見ていたのですが、この1枚。あの「もののけ姫」のワンシーンのようですね!!


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ビリービン
「プーシキン民話集
ブイリーナ(英雄叙事詩」5040円

ビリービン
「入り江のほとり」
3150円
ご注文は
ロシア絵本「カランダーシ」
すばらしいビリービンの絵の世界を
堪能できます。
画集のようにお楽しみください。





2012年6月1日金曜日

すごいぞ!レーベジェフ!

いよいよロシア絵本黄金時代の幕開けです。革命に共鳴した芸術家たちの「ロシア・アヴァンギャルド」のうねり。多岐にわたるその芸術運動の中でも、多くの芸術家が「絵本」創作に参加しました。今までのような一部富裕層のためにではなく、識字率の低い民衆や子どもたちへ、新しい時代の到来を伝えることを使命として、おびただしい数の絵本が出版されました。



ウラジミール・レーベジェフはそのうねりの中心人物であり、黄金期を牽引する旗手でした。左は我が家にある邦訳されている絵本作品です。上から『サーカス』『しゅりょう』『かんながかんなをつくったはなし』『こねこのおひげちゃん』(以上岩波書店刊)。洗練された形、明るい色使い、ユーモア、ナンセンス、躍動感…機能的でありながら温かい印象を受けます。デザイン力にも目を見張ります。見る側に立った飽きさせないページ構成力 などは、「ロスタの窓」創作の賜物なのでしょうか。



個人的にはビリービンのような装飾的「芸術世界派」の作品も好きですが、レーベジェフ作品も好きです。その理由は、簡単にいうと「垢ぬけてカッコイイ」と感じるからですね。



解剖学やするどい観察眼にうらうちされたという「本物感」=リアリティがカッコイイ、また、子どもに向けての姿勢、つまり伝えるために、事物の描き方はシンプルさを追及しつつも、決して媚びていないことがカッコイイ。



そうです。絵柄の意図が伝わることを旨としながらも、あざとさやたくらみで人目をひこうとしていないから大人が対峙して受け取るものがきちんとある。そして何よりも絵から「前向きなベクトル」を感じることは大きな魅力ですね。ほんとカッコイイ絵本!(仕方ないのですが、ロシア版原書のほうがもっとカッコイイです)



これらの作品はすべて詩人サムイル・マルシャークとの合作です。当時のサンクトペテルブルク市、ネフスキー大通りにあったシンガー・ミシンビル6fの国立出版所児童所編集部で、レーベジェフとマルシャークはそれぞれ美術と文学の顧問として、自らの創作活動はもちろん、多くの才能ある若手を育てます。レーベジェフ派が誕生し、そして後世に残る素晴らしい絵本の数々が創作されたのです。



「こどものためのグラフィックアートが、これほど真剣な芸術の試みと一致したことはかつてなかった」『ソビエトの絵本』(リブロ刊)
しかし。味方だったはずの時代の流れは、この素晴らしい絵本の隆盛を押しつぶす方向に向かうわけですね。うーん。

参考文献:『幻のロシア絵本1920-30年代』(淡交社)『ソビエトの絵本』(リブロ)『カスチョール29号』(カスチョールの会刊)

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ビリービン切手額(5柄入り)1680円
ロシア絵本「カランダーシ」







2012年5月24日木曜日

革命・ロスタの窓・レーベジェフ

 しかしながら、ビリービンの豪華で美しい絵本は一部富裕層の手にしか渡らず、ビリービン本人は後に亡命をすることになります。そして革命前のロシアには、芸術世界派をまっこう否定する未来派という流れも出現します。未来派はざら紙、ホッチキスで書物を作りました。これが20年代からの絵本作りの手法につながっていきます。

そして、ロシア革命がおき、政治的革命を自らの芸術活動と連動してとらえた多くの芸術家たちは、革命のプロパガンダ活動に積極的に参加しましたが、そのひとつに「ロスタの窓」というものがありました。

「ロシア通信社(通称ロスタ)が国内各地の支社の窓に貼りだした、革命政府のメッセージを伝える政治宣伝ポスターのことです。識字率がおそろしく低かった時代ですから、文字も多少あしらわれているものの、シンプルなイラストレーションで民衆に直接語りかける「ロスタの窓」は、革命に賛同し、持てる力を有効に使いたくてうずうずしている芸術家たちにとって、実践のためにまたとない現場であった。」(「芸術新潮2004年7月号」)

「ロスタの窓」は、短時間で作らなければならず、「技法はステンシル。紙の上に型紙を置き、ローラーでじゃんじゃん色を刷って」(同じく7月号)作られていました。大切なのはインパクト。ひとめで何を言いたいのか伝えなくてはなりません。そのためにロシアに古くから伝わるルボーク(民衆版画)の技法も取り入れらました。

そして、 この「ロスタの窓」の描き手としても活躍し、その後この時代を代表する絵本の描き手となったのがウラジミール・レーベジェフ(1891~1967)です。左上の書籍(淡交社刊)表紙の作品の作者です。この絵は『サーカス』(1925年)という絵本の表紙の絵ですが、これまた黄金時代の代表詩人サムイル・マルシャークとのコンビ作品です。この絵本はもともとすべてのページがバラバラに作られたポスターであったそうで、なるほど、シンプルだけど印象深い絵です。ユーモアもあり、それに何か明るい高揚した気分まで伝わってくるような…。

革命に連動し、民衆のためにわかりやすいものを作ろうという姿勢と、短時間で「ロスタの窓」のプロパガンダポスターを作っていた経験が、レーベジェフの絵本制作の土台にあり、それまでのビリービンらの芸術世界派のの絵本とは全く違う新しい絵本がこやって誕生したわけですね。

なるほど。絵本を知り、時代を知る。勉強になります。ふう。


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ビリービン切手額(5柄入り)1680円
ロシア絵本ネットショップ「カランダーシ」








2012年5月14日月曜日

ジャポニスムとビリービン


現在、三菱一号館美術館でKATAGAMI Style展
が開催されています。19世紀後半以降、日本の型紙がアール・ヌーヴォーやユーゲント・シュテイルにどんな影響を与えたのか作品を通して見ることができるようです。この展示会からも、当時の日本の美術工芸分野が世界に与えた影響がかなりのものだったことがよくわかるのですが、ロシア絵本の星、ビリービンももちろんこのジャポニスム(日本趣味)とは無関係ではありませんでした。

左の二つの絵。この二枚はよく比較されていますが、上が葛飾北斎「冨嶽36景神奈川沖浪裏」(1830-35年)下がビリービンの『サルタン王物語』(1905年)の挿し絵です。このビリービンの絵は特にジャポニスム(日本趣味)の影響が色濃い作品だといえるでしょう。波を大胆にデザインしたダイナミズムあふれる作品の下には漢字を模したような飾り文字のようなものが並んでいます。

ジャポニスム-日本趣味といわれるものは、開国を機に文化交流がさかんになり、1867年のパリ万国博覧会に日本が正式参加したことから始まり、1878年に同じくパリで行われた万国博覧会でピークを迎えます。けれどこれはヨーロッパでの話で、ロシアでのジャポニスムの始まりは西欧より遅れ1890年代に入ってからといわれています。それは、日本から直接というより、西欧を介して入ってきたようです。しかし、ビリービン自身はドイツ留学の経験がありますから、ロシアにそのブームが来る前に、より早くそのジャポニスムの洗礼を受けたのではないでしょうか。

  私が今回参考にしたNHKテレビテキスト『テレビでロシア語2010年4月号』の連載コラム「ロシア美術とジャポニスム(上野理恵氏)」によると、当時ロシアには日本美術コレクターが出現し、1890年代には浮世絵の収集が始まったとあります。芸術世界派の美術家たちも1902年にペテルブルグに現れたハセガワと名乗る美術商から多くの作品を買い、またモスクワには日露戦争前まで日本版画を売る「日本の店」があったとあります。

100年以上も前の日本とロシアの文化的つながりをビリービンの絵本を通して知ることができるわけですね。面白いです。そんなこんなでジャポニスムに興味津々の私は開催期間中に三菱一号館美術館に行きたいと考えてはいるのですが…。


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ビリービン
「プーシキン民話集
ブイリーナ(英雄叙事詩」5040円

ビリービン
「入り江のほとり」
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ロシア絵本「カランダーシ」                                                            
すばらしいビリービンの絵の世界を
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2012年5月1日火曜日

前提はビリービン

「プーシキン民話集/ブィリーナ(英雄叙事詩)」より
このブログの道案内『芸術新潮2004年7月号』は東京子ども図書館から借りたものだったので返却し、ネットで探して古書店で入手しました。便利な世の中になったものです。

さて、この『芸術新潮』では「ロシア絵本の黄金時代」を語る前提として、まずビリービンという「芸術世界派」から出てきた偉大なアーティストについて紹介しています。いえいえ、私の知る限りのどんな黄金時代の資料でもこの作家についての記述がないことはありません。まずはビリービンありき。なのです。

ビリービン。彼はロシアの絵本という形を創作した作家の元祖といってもいい人物です。(ロシアではそれ以前は「ルボーク」という民衆版画が物語絵として親しまれていたようです)「芸術世界派」は挿し絵を含めた総合芸術としての絵本という考え方を初めて打ち出したのです。

そのプロフィールですが、『ソビエトの絵本1920-1930』(リブロ)のヴェレナ・ラシュマン氏の「あったのか-なかったのか?」の中の詳しい記述によりますと、ロシア・リアリズムを目指していたビリービンは、ドイツに留学中に西欧の青年派画法を知り影響を受けたのですが、「彼は自らの作品にロシア特有の特徴をとどめるように努めた」ともあります。これはすなわちロシア「世界芸術派」の特徴でもあったようです。

ここで緻密で美しく神秘的なビリービン絵本の特徴を、まとめてみます。
1)西欧、ドイツのアール・ヌーヴォーおよびユーゲントシュテイルの影響
2)ロシア民話に題材をとることにより、風土や神秘性の表現
3)懐古趣味(16世紀に大変ひかれていた)
4)装飾美(美しい縁飾りなど)
5)ルボークという民衆版画の影響
6)ジャポニスムの影響
7)高度な印刷技術(美術本のような仕上がり)


しかし、しかし。
ロシア絵本の「黄金時代」すなわち1920~1930年代に焦点をあわせると、ビリービンはいつでもあたかも黄金時代の「前提としての装置」扱いになってしまうのがなんとなく残念なような。また、この6月から三鷹の森ジブリ美術館で、新企画展示『挿絵が僕らにくれたもの』展というものが始まり、この中でビリービンが取り上げられるようですが、現代のアニメーション作りにつながる存在として展示されるそう。ここではアニメーションの前提としてのビリービンですね。(楽しみです!)

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「プーシキン民話集/
ブィリーナ(英雄叙事詩)」5040円
ロシア絵本「カランダーシ」


「入り江のほとり」3150円

2012年4月19日木曜日

ロシア絵本とユーゲントシュテイル


エルサ・ベスコフ作
「りーサの庭のはなまつり」
文化出版局
ロシア絵本の黄金時代を前に、19世紀末の西欧芸術の「うねり」をうけて、1898年セルゲイ・ディアギレフが雑誌『芸術世界』を創刊しましたが、これに参加した画家たちが、「芸術世界派」として活躍します。このことはロシア絵本の歴史にとって、大変重要です。

この「うねり」のおおもとは、ユーゲントシュテイル(=青春様式)というドイツで生まれた芸術様式で、『ユーゲント』という当時爆発的大成功をおさめたイラスト多用の大衆雑誌(週間誌)に由来します。ユーゲント・シュテイル、この世紀末の芸術様式は「アール・ヌーボー」の流れをくむもので、ほぼ同じ意味として用いられています。

絵本の世界では、その時代、イギリスではウォルター・クレイン、アーサー・ラッカム…、アメリカでハワード・パイル、ドイツではゲルトルート・カスパーリ、フランスではブーテ・ド・モンヴェル、チェコではアルトゥシ・シャイネルなどなど美しい名作のオンパレード!余談になりますが、私の大好きなスウェーデンのエルサ・ベスコフもこの時期の作家。最近知って大好きになったスイスのエルンスト・クライドルフも大体同じ時代ですし、個人的にはこの時代の絵本は大変興味深いです。(参考文献:『絵本の黄金時代』国立国会図書館国際子ども図書館刊)国際子ども図書館のサイトでは、この時代の絵本を取り上げて紹介しています。ため息ものです。ユーゲントシュテイルと絵本作家たち

そして、ロシアではその「芸術世界派」がたくさんのすばらしい絵本を創作しますが、「傑出していたのはイワン・ビリービン」と『芸術新潮2004年7月号』にもあるように、黄金期以前の絵本界の頂点を極めた作家の登場です。
         
  
                                   
                  
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ビリービン切手
額入り5枚組セット1680円(定価)
  ロシア絵本「カランダーシ」





2012年4月17日火曜日

ロシア絵本の黄金時代以前


 1920年代~30年がロシア絵本の黄金時代だとして、それ以前のロシアの文化的状況とは一体どんなものだったのでしょうか。

『芸術新潮』04年7月号には「ヨーロッパから見れば辺境の後進国。そんな状況に甘んじてきたロシアにとって、西欧に追いつき追い越すことは悲願でした。18世紀初めにペテルブルクの建設にとりくみ、西欧風の都市をつくりあげたのもそのため、努力のかいあって19世紀末にはかなりの西欧化をはたします。このころから20世紀はじめにかけてヨーロッパ諸国では世紀末芸術が咲きほこりますが、ロシアもその動向に共振し、ペテスブルグでは1898年、セルゲイ・ディアギレフとその一派が象徴主義の雑誌『芸術世界』を創刊。ここに参加した画家たちがすばらしい絵本をうみだす」とあります。

『絵本の黄金時代』(国立国会図書館国際子ども図書館刊)によると19世紀、世界的にはそれまで労働力としてしか見られていなかった子どもへの関心が高まり、後半にはようやく読み物や絵本が流通しはじめたとあり、ロシアでも活発に教育について議論が行われ、この時代もっとも大きな影響力をもっていたといわれるエレン・ケイの『子どもの世紀』も1905年にはロシア語に翻訳されたということがわかります。

当時のロシア児童文学の分野では主流は童話、歌、詩であったようで、ピュートル・エルショーフの『せむしの仔馬』やアレクサンドル・プーシキンの物語などが生まれています。また、その後の絵本誕生への大きな技術的な背景として写真製版の登場もあげられるでしょう。

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ビリービン切手「うるわしのワシリーサ」
木製額入り全5柄1680円(定価)

   ロシアの絵本「カランダーシ」








2012年4月16日月曜日

ロシア絵本の黄金時代

たとえば。
先述の『芸術新潮』04年7月号の特集「ロシア絵本のすばらしき世界」を何の予備知識もなく読み始めたとする。「ロシアの絵本だから、『大きなかぶ』とか『チェブラーシカ』は載ってるのかしら」とか思いながら。それは至極当然の思いだと思う。

でも、中を見たらチェブラーシカのチの字も出てはこない。随分と時代がかった絵本しか出てこないので面くらう。読んでみると1920年から30年の間の絵本が主役。結果、「ロシア絵本といったらこの年代のもの」というひとつの考え方の存在を知ることとなるわけだ。

どんなにこの時代の絵本がスゴイ=重要かは『幻のロシア絵本1920-30年代』(企画・監修:芦屋市立美術博物館、東京都庭園美術館、淡交社刊)や「ソビエトの絵本」(ジェームス・フレーザー共編、リブロポート刊)※画像※など、この時代の絵本だけをあつかった書籍があることからもわかる。黄金時代ともいわれるこの時代の絵本をまずはじっくり見ていこうと思う。

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ヴァツネホーフ絵「手をたたきましょう」
3990円(定価)
ロシア絵本「カランダーシ」

2012年4月13日金曜日

『芸術新潮』04年7月号

さて。
規模は小さいながらもロシア絵本の絵本のネットショップまで立ち上げてしまった今日このごろ。動機は「好きだ」というだけで十分だと思うのですが、せっかくの機会なので、少しずつロシア絵本の世界について調べてみることにしました。

それで、この『芸術新潮』2004年7月号。東京子ども図書館資料室で見つけました。特集は「ロシア絵本のすばらしき世界」。わかりやすい内容のような(気がする)ので、この雑誌を入口に、今まで知りえたことも整理しつつ、その「すばらしき世界」が何なのか探っていくことにします。

表紙の絵本は『四つの色について』。詩=ニーナ・サコンスカヤ、絵=リジヤ・ポポーワ、1930年刊(第3版)、沼辺信一氏蔵。この沼辺氏がこの特集の解説者です。
沼辺信一(1952年~)さん:雑誌には収集家・研究者、20世紀芸術史とあります。ご本人のブログに詳しいプロフィールがありました。(http://numabe.exblog.jp/15015271/

それにしてもこの表紙。風船を手放してバンザイ状態の少女たち。失われたものはもう二度と戻らない…それが、すなわちロシア絵本のある時代の輝きを示唆しているとすればちょっと切なくなってしまう扉絵ですね。

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チュコフスキー詩「めちゃくちゃの大さわぎ」
4800円(定価)

ロシアの絵本「カランダーシ」