2012年5月24日木曜日

革命・ロスタの窓・レーベジェフ

 しかしながら、ビリービンの豪華で美しい絵本は一部富裕層の手にしか渡らず、ビリービン本人は後に亡命をすることになります。そして革命前のロシアには、芸術世界派をまっこう否定する未来派という流れも出現します。未来派はざら紙、ホッチキスで書物を作りました。これが20年代からの絵本作りの手法につながっていきます。

そして、ロシア革命がおき、政治的革命を自らの芸術活動と連動してとらえた多くの芸術家たちは、革命のプロパガンダ活動に積極的に参加しましたが、そのひとつに「ロスタの窓」というものがありました。

「ロシア通信社(通称ロスタ)が国内各地の支社の窓に貼りだした、革命政府のメッセージを伝える政治宣伝ポスターのことです。識字率がおそろしく低かった時代ですから、文字も多少あしらわれているものの、シンプルなイラストレーションで民衆に直接語りかける「ロスタの窓」は、革命に賛同し、持てる力を有効に使いたくてうずうずしている芸術家たちにとって、実践のためにまたとない現場であった。」(「芸術新潮2004年7月号」)

「ロスタの窓」は、短時間で作らなければならず、「技法はステンシル。紙の上に型紙を置き、ローラーでじゃんじゃん色を刷って」(同じく7月号)作られていました。大切なのはインパクト。ひとめで何を言いたいのか伝えなくてはなりません。そのためにロシアに古くから伝わるルボーク(民衆版画)の技法も取り入れらました。

そして、 この「ロスタの窓」の描き手としても活躍し、その後この時代を代表する絵本の描き手となったのがウラジミール・レーベジェフ(1891~1967)です。左上の書籍(淡交社刊)表紙の作品の作者です。この絵は『サーカス』(1925年)という絵本の表紙の絵ですが、これまた黄金時代の代表詩人サムイル・マルシャークとのコンビ作品です。この絵本はもともとすべてのページがバラバラに作られたポスターであったそうで、なるほど、シンプルだけど印象深い絵です。ユーモアもあり、それに何か明るい高揚した気分まで伝わってくるような…。

革命に連動し、民衆のためにわかりやすいものを作ろうという姿勢と、短時間で「ロスタの窓」のプロパガンダポスターを作っていた経験が、レーベジェフの絵本制作の土台にあり、それまでのビリービンらの芸術世界派のの絵本とは全く違う新しい絵本がこやって誕生したわけですね。

なるほど。絵本を知り、時代を知る。勉強になります。ふう。


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ビリービン切手額(5柄入り)1680円
ロシア絵本ネットショップ「カランダーシ」








2012年5月14日月曜日

ジャポニスムとビリービン


現在、三菱一号館美術館でKATAGAMI Style展
が開催されています。19世紀後半以降、日本の型紙がアール・ヌーヴォーやユーゲント・シュテイルにどんな影響を与えたのか作品を通して見ることができるようです。この展示会からも、当時の日本の美術工芸分野が世界に与えた影響がかなりのものだったことがよくわかるのですが、ロシア絵本の星、ビリービンももちろんこのジャポニスム(日本趣味)とは無関係ではありませんでした。

左の二つの絵。この二枚はよく比較されていますが、上が葛飾北斎「冨嶽36景神奈川沖浪裏」(1830-35年)下がビリービンの『サルタン王物語』(1905年)の挿し絵です。このビリービンの絵は特にジャポニスム(日本趣味)の影響が色濃い作品だといえるでしょう。波を大胆にデザインしたダイナミズムあふれる作品の下には漢字を模したような飾り文字のようなものが並んでいます。

ジャポニスム-日本趣味といわれるものは、開国を機に文化交流がさかんになり、1867年のパリ万国博覧会に日本が正式参加したことから始まり、1878年に同じくパリで行われた万国博覧会でピークを迎えます。けれどこれはヨーロッパでの話で、ロシアでのジャポニスムの始まりは西欧より遅れ1890年代に入ってからといわれています。それは、日本から直接というより、西欧を介して入ってきたようです。しかし、ビリービン自身はドイツ留学の経験がありますから、ロシアにそのブームが来る前に、より早くそのジャポニスムの洗礼を受けたのではないでしょうか。

  私が今回参考にしたNHKテレビテキスト『テレビでロシア語2010年4月号』の連載コラム「ロシア美術とジャポニスム(上野理恵氏)」によると、当時ロシアには日本美術コレクターが出現し、1890年代には浮世絵の収集が始まったとあります。芸術世界派の美術家たちも1902年にペテルブルグに現れたハセガワと名乗る美術商から多くの作品を買い、またモスクワには日露戦争前まで日本版画を売る「日本の店」があったとあります。

100年以上も前の日本とロシアの文化的つながりをビリービンの絵本を通して知ることができるわけですね。面白いです。そんなこんなでジャポニスムに興味津々の私は開催期間中に三菱一号館美術館に行きたいと考えてはいるのですが…。


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ビリービン
「プーシキン民話集
ブイリーナ(英雄叙事詩」5040円

ビリービン
「入り江のほとり」
3150円
  ご注文は
ロシア絵本「カランダーシ」                                                            
すばらしいビリービンの絵の世界を
堪能できます。
画集のようにお楽しみください。




2012年5月1日火曜日

前提はビリービン

「プーシキン民話集/ブィリーナ(英雄叙事詩)」より
このブログの道案内『芸術新潮2004年7月号』は東京子ども図書館から借りたものだったので返却し、ネットで探して古書店で入手しました。便利な世の中になったものです。

さて、この『芸術新潮』では「ロシア絵本の黄金時代」を語る前提として、まずビリービンという「芸術世界派」から出てきた偉大なアーティストについて紹介しています。いえいえ、私の知る限りのどんな黄金時代の資料でもこの作家についての記述がないことはありません。まずはビリービンありき。なのです。

ビリービン。彼はロシアの絵本という形を創作した作家の元祖といってもいい人物です。(ロシアではそれ以前は「ルボーク」という民衆版画が物語絵として親しまれていたようです)「芸術世界派」は挿し絵を含めた総合芸術としての絵本という考え方を初めて打ち出したのです。

そのプロフィールですが、『ソビエトの絵本1920-1930』(リブロ)のヴェレナ・ラシュマン氏の「あったのか-なかったのか?」の中の詳しい記述によりますと、ロシア・リアリズムを目指していたビリービンは、ドイツに留学中に西欧の青年派画法を知り影響を受けたのですが、「彼は自らの作品にロシア特有の特徴をとどめるように努めた」ともあります。これはすなわちロシア「世界芸術派」の特徴でもあったようです。

ここで緻密で美しく神秘的なビリービン絵本の特徴を、まとめてみます。
1)西欧、ドイツのアール・ヌーヴォーおよびユーゲントシュテイルの影響
2)ロシア民話に題材をとることにより、風土や神秘性の表現
3)懐古趣味(16世紀に大変ひかれていた)
4)装飾美(美しい縁飾りなど)
5)ルボークという民衆版画の影響
6)ジャポニスムの影響
7)高度な印刷技術(美術本のような仕上がり)


しかし、しかし。
ロシア絵本の「黄金時代」すなわち1920~1930年代に焦点をあわせると、ビリービンはいつでもあたかも黄金時代の「前提としての装置」扱いになってしまうのがなんとなく残念なような。また、この6月から三鷹の森ジブリ美術館で、新企画展示『挿絵が僕らにくれたもの』展というものが始まり、この中でビリービンが取り上げられるようですが、現代のアニメーション作りにつながる存在として展示されるそう。ここではアニメーションの前提としてのビリービンですね。(楽しみです!)

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「プーシキン民話集/
ブィリーナ(英雄叙事詩)」5040円
ロシア絵本「カランダーシ」


「入り江のほとり」3150円