2015年10月11日日曜日

カランダーシのロシア旅④「モスクワ郊外・ダーチャできのこがり」

屋根裏にツバメの巣が
 きのこの絵本「わいわいきのこのおいわいかい きのこ解説つき」を作ることもあり、ロシアに行くなら、きのこ狩りができたら、と何のアテもないのにロシア語の先生に話しをしたら、ロシアのMさんに伝えてくださり、「ダーチャ(田舎の家)へどうぞ」というお返事をいただいて…ということがあり、そして、とうとう、Mさん、ご主人、2人のお子さんと一緒にモスクワ郊外へ行く日がやってきた。

ご一家のダーチャはとってもモダンでスタイリッシュでかっこよくて、それがご主人の設計だと聞いてそれまたかっこいいなと感心したのだけど、10年かけてまだ完成ではない、っていうのもかっこいいな、と。実際、ロシアの男の人たちは長い年月かけてダーチャを自分で作ったりするようなのだ。ご主人もコツコツ、イチから自分で作り上げてきて、今は大工さんが一人住み込み!で完成まであと少しの工事を請け負っている。壮大な人生の一大事業、大変だけどその充実感はうらやましいと思う。去年はまだお客さんをよんだりできなかったそうで、私はよい時期にお邪魔させていただいたようだ。


ニワトリの家
朝早く、Mさんとお子さんたちと近所へ散歩。空気は澄み、空はどこまでも青かった。ありがたいことにとてもいいお天気だったのだ。ダーチャの集落のわきの道を歩く。鶏も道を歩く。道すがら鶏の小屋が建っていて、扉が開いていて放し飼いなのだ。驚いたのは、草の植生。オオバコや赤つめ草、なんだか日本の原っぱとそんなに違わない。でも、ここで私は生まれて初めてイラクサというものに出合う。「白鳥の王子」でその名を知ってから随分たつが、後でその棘の痛みを実感することで、やっと大昔に読んだ物語の真実が理解できたわけだ。ホントに痛かった。

静かな池
きのこ狩りはご主人が隊長さんだ。森をよく知っていて、きのこがとれそうな場所まで車で出かける。いや、その前にしっかりと装備を固める。長袖、長ズボン、長靴、帽子、虫除けスプレー。きのこを入れるためのバケツ。さあ、出発。麦を刈り取った跡の平原の脇の明るい白樺の林。ここでもいくつかのきのこを見つけたけれど、食べられないものも多く、代わりに?捨てられていたゴミをMさんご夫妻は丁寧に拾っていた。Mさんご夫妻は環境への意識が高いのだ。

次の場所はやはり白樺が目立つけれど、うっそうと込み合った本格的な森。自然の深みにに足を踏み入れていく感にちょっと身震い。でも、隊長さんがいるから大丈夫。彼にとっては勝手知ったる森なのだ。先頭を迷わず歩いて行く。そして、ちゃんときのこを見つけてくれるのだ!茶色い帽子をかぶったきのこ。赤っぽい帽子のきのこ。その2種類のきのこがその日のメイン2種類のきのこ。ヤマイグチとキンチャヤマイグチだ。隊長が先に見つけると、「この範囲にあるから見つけてごらん」ときのこ狩りレッスンをしてくれる。なるほど、子どもたちはこうやってきのこ狩りの勘を養っていくのか…きのこ英才教育だ。いいなあ。
★ヤマイグチ
★ベニテングタケ

森深く
だんだん、森に慣れてくるというのか、きのこに意識が集中してくる。もう頭にはきのこのことしかない。ひたすらきのこを探す。きのこ、きのこ、きのこ。そして、こうやって歩いていると、ふと「きのこと目が合う」ようになってくる。それは不思議な感覚だ。なーんにもない、と見えるフレームの中で呼ばれるようにきのこにフォーカスが合う瞬間!駆け寄る、確認する、隊長に知らせる。褒められる。なんて楽しいんだろう!ビギナーズラッキーなのか、新参者の私もたくさんのきのこを見つけることができた。
★キンチャヤマイグチ


大きい!
私たちはまるで、マリー・ホールエッツの絵本のように列を組んで森の中を進んだ。子どもたちは枝を見つけたり、遊びながら森を進む。森の中へ中へ。もう、北も南も分からない。さらにいえば、過去も未来もない、大げさに言えば世界の全てが森で、今その時だけを生きている感覚というのかなぁ。少なくとも私は幸せだったなぁ。と今でも思う。森と相性がよかったのかな。

たくさんのきのこがとれて、それで私たちはいい気分だったのだけど、さらに嬉しい瞬間がやってきた。ヤマドリタケ(ポルチーニ)を見つけたのだ。ぷっくりとしたきのこの王様。隊長は生でスライスして食べさせてくれた。その馥郁たる香り!

★ヤマドリタケ
ベニテングタケは美しかったし、他にも、何種類かのきのこに出合った。でも、食べられないきのこ、食べるのに手間がかかるきのこに対しては、さして関心は持たない。そう、忘れてはいけない。これはダーチャにおける大切な食料調達の仕事なのである。きれい、かわいい、ではお腹はいっぱいにはならない。

すでに、帰り道など分からない。さんびきのくまの女の子気分だ。でも、隊長さんはすごい。ちゃんと車まで迷わずに歩いていくんだな、これが。天晴れ。

ダーチャでは、きのこを並べて記念撮影。それから、シャシリク!庭でMさんがマリネしておいてくださった鶏肉を串で刺して、隊長さんが蒔で起した火で焼く。私はキッチンでMさんの助手。きのこを切ったものをバターでいためた。ビーツとじゃがいもとピクルスのサラダなどなどのごちそうがテーブルに並ぶ。Mさんが素敵な新しいクロスをかけてくれた。どれも素材の味がしっかりとしていてとてもおいしかった。そして、きのこはエキスが溶け合い、しみじみ滋味深かった。
うまし!

たくさんとれたきのこはカットして袋に小分けにする。冷凍するのだ。庭のプルーンもたくさん収穫して洗って種を取る。これも袋に小分け。ジャムにしたりコンポートにしたりするそうだ。そうそう、同じ庭の別棟に住む隊長のお父様の作ったプルーンのコンポート
プルーン
もおいしかったな。たくさんとれたら、たくさん仕事もある。ダーチャは優雅に休むところではない。というのは本で読んで知っていたけど本当だ。畑を作り、果樹を育て、森ではベリーやきのこをとり、その世話や処理や料理に追われる場所。そして、それは家族の大切な食料になる。

ダーチャ集落の夕暮れ
全ての後片付けをして、ダーチャを後にするのはもうすっかり夜も更けた頃。お父様と日本の水害のことを心配してくれていた大工さんともご挨拶をして車に乗り込む。
空には星が見たこともないような大きさで輝いていた。私は車窓から見える深い森に心の中で「ありがとう。さようなら」と挨拶。まあ、私の魂の一部はあの森に置いてきた気もする。

ホテルの部屋に戻ると、ハート型の風船が天井にぶつかっていて、テーブルにはケーキが置いてあり、「HAPPY BIRTHDAY」とチョコでお皿に書いてあった。そう。その日は私の誕生日だったので、ホテルのサービスだ。遠い旅先で迎えた誕生日。贈り物は森からたくさんいただいた。忘れられない誕生日。Mさんご一家には大変感謝している。特に日露の大きなプロジェクトに関わったり、大きなお仕事をバリバリこなすMさんに、とても個人的なモスクワ珍道中におつきあいいただけたことは本当にありがたかった。また、その中で、色々子育てのことや、あれやこれやをお話しさせてもらったことも心に残っている。私は本当はとても心細かったんだと思う。でも、乗り切れたのは、Mさんに助けていただいたからだ。






このダーチャでのきのこがりで、漠然としたイメージにすぎなかったロシアの森ときのこ、きのことロシアの人々の様子について実際にこの目で見て確かめることができた。新刊の絵本「わいわいきのこのおいわいかい  きのこ解説つき」の中に出てくる「うっそうとしたポプラ」のざわめきやトウヒの松かさを目の当たりにし、そして登場人物?の★ヤマドリタケ、★キンチャヤマイグチ、★ヤマイグチ、にも出合えただけでなく触れて収穫して食した。★ベニテングタケの赤にはっとさせられ、街の市場では★アンズタケも見た。食品店では干したヤマドリタケやたくさんの瓶詰めや缶詰。食生活の中のきのこの存在の大きさもよくわかった。


昔からロシアの人々の身近にあったきのこ。それには森と人とを繋ぐダーチャという存在も大きい。森の国ロシア。きのこの国ロシア。絵本の背景を実感することができたのは本当に大きな収穫だ。また、あらためて、マーヴリナのきのこの描き方は素晴らしいなと気づかされている。そして、保坂先生の解説にある「共生」という言葉を考えてみたりしている。

きのこを身近に!
新しくできる絵本で、きのこをもっと身近に感じてもらったり、そもそもきのこにはたくさんの種類があることが伝わったり、解説を読んで森との関連性を知ってもらったり、ひいてはロシアの人ときのこの深い関係性を知ってもらったり、そんなふうになれば嬉しいなと思う。またこのきのこ狩りで得たものも何か役立てることができたら、と思う。

そうなれば、ロシアの森のきのこたちもきっと嬉しいはず…と思おう。
(カランダーシのロシア旅ブログはこれで終わりです。ふう)

森からの贈り物


★は絵本に出てくるきのこです。

「わいわいきのこのおいわいかい きのこ解説つき」


2015年10月2日金曜日

カランダーシのロシア旅④(ロシア国立子ども図書館を訪ねて)

この建物の一部が図書館
 国立子ども図書館訪問。国立でなくてもよかったのだけど、児童図書館には行ってみたかった。ある国に行った時、動物園と図書館を見れば「何か」が分かると思う気がします。(私のように、主要観光スポットをすっ飛ばしていきなり訪ねる場所でもないのかもしれませんが)でも、ロシアの子どもと家族の様子を見るのが旅のテーマだし、子どもと本との関わりも見てみたかったので、図書館行きは私にとってマスト。かなり楽しみでした。

 ですが、「あれ?なんだか、期待していたイメージと違う」というのが、地下鉄の駅を降り、図書館の建物の外観を見た瞬間の私の反応です。大きな集合住宅の一部が図書館だということで、外見はちょっと無愛想だなと思った次第。でも、近づくと、サイトで見ていたおなじみのマークのついた扉があるし、さあ、いよいよ入館です。

入口。図書館のマーク
 とは、簡単にはいかない。まず入ると、広いロビーのような場所があり、左手にオープンロッカースペースがあり、ハンガーにコートをかけ、大きな荷物などを置くようになっています。特に番号札などはありません。で、正面は入館ゲートですが、ICカードをタッチしないと入れない仕組み。新参者は必要書類に記入して、右手の受付の(審査)をパスしなければ中に入れないのです。今回は通訳としてMさんに同行していただいていたので、書類記入、(審査)も無事終えて中に入れましたが、一人だったら、どうしたでしょうね。受付には年配の婦人が2人いて、ちょっと厳しそうですし、実際、学生の書類の不備をぴしぴし指摘していました。(審査)とは大げさかもしれませんが、身分証明書の提示、書類のチェック、最後に顔写真を撮られます。で、晴れていただいたカード。裏面に名前、生年月日などが記載されています。

吹き抜けホール
まず、ゲートを入ると広い廊下があり、正面に小規模なホールが見えます。そして、この廊下は展示スペースにもなっており、「戦後70年」というテーマで壁もペインティングされていましたし、ガラスケースには関連書籍、突き当たりのホールでも関連の展示やシュミレーション映像などが流れていました。結構、力が入っている感じです。ホールは吹き抜けで、子どもたちは映像の前に集まっていました。児童図書館の児童としての対象年齢は確か18歳まで。ですから、展示も幅広い年齢層に向けて、ということになります。

 と、ここまでは共有スペースですが、ここからは、ホールの周りにある年齢で区切った個別の部屋を訪ねます。まずは、05歳小さい子たちのためのお部屋です。優しい、家庭的な温もりのある雰囲気です。窓からは木々の緑。カーペット、ぬいぐるみ、民芸品のホフロマ塗りの小さな椅子、丸いソファ、手造りのペチカ。ここの本は貸し出しできません。ここにある本はここで読むため、または読んでもらうためのものです。書棚を見るとラチョフの動物民話集がありました。本を開くと手書きの図書カードが。1972年刊の本など、昔からの本がたくさんあります。
小さい子たちの部屋
 次は0歳~10歳のための部屋で、今度は借りられる部屋。私たちが行ったのはその後、6歳~10歳の借りられない部屋、11歳~高校生以上の借りられる部屋、あとは、自然科学の部屋、文芸書の部屋、海外の本の部屋などです。他に音楽の部屋、集会などができる部屋などがありました。

 6歳~10歳の部屋は、白を基調とした明るくモダンな感じで、テーブルにペンが置いてあります。この図書館は入るときは結構大変だと思いましたが、中に入ると意外にも撮影はオッケーです。11歳以上の部屋は窓側に読書スペースもあり、日本の漫画もありましたし、キラキラな表紙のローティーン向け青春小説などもあり、硬軟取り混ぜている感じです。自然科学の部屋は、分野ごとに棚が分かれていてとても本が探しやすくなっており、文芸書の部屋には、村上春樹の本、ロシア語の日本昔話などもありました。それぞれの部屋には受付があり、司書(資格を持っているのかどうかわからないが)の婦人が大体ひとりからふたりいて子どもたちの相談にのったり、本を探してくれたり。私も探しているテーマの本があったのでお願いしたのですが、親切に教えてくれました。で、文芸書の受付には、鳥かごが置いてあり、実際小鳥を飼っておりました。

6歳~10歳の部屋。明るい
 最後に訪ねたのが、外国の本がおいてある場所。英国、フランス、中国、トルコ、日本、スペイン、イタリア、ドイツの本が置いてあるということでした。国別に書棚が分かれています。日本の棚にはおなじみの絵本が並んでいました。たくさんの部屋を見ましたが、実は一番印象に残ったのはこの部屋でした。

外国語の本の部屋
 その日本語の絵本の棚を見たときは、嬉しかったですね。そんなに日本から離れていたわけではないけれど、懐かしいというのも変なのですが、日本語を見るだけでほっとしたんですね。ですから、遠く日本を離れてモスクワに赴任している日本人の家族たちにとって、ここはきっと大切な場所であろうことは想像できました。各家庭にも、日本人学校にも日本の書籍はあるでしょう。でも、街の児童図書館にもある!このことは当事者たちにとって決して小さいことではない。そう思ったわけです。

 ページをめくるとロシア語訳が簡単な紙で貼ってあるものも。これも必要な人、子どもにとって、ありがたいことでしょう。司書の方にうかがうと、やはり各国からモスクワに赴任しいる家族、そして各国の言葉を習得しようとしている人がこの部屋を利用すると言っていました。この図書館の界隈は日本人が多く住んでいるエリアだそう。この図書館のこの部屋、この本棚を大げさかもしれないけれど、ひとつの拠り所としている家族や子どもがいるのでは、などと想像しました。知らない国で、その国の図書館に迎え入れられていると実感できたら、それはきっと大きな励ましになるのではないかな。
入館カード

 この図書館は、外観はいかつかったけれど、中はソフトでリラックスできる場所でした。中に入る時のセキュリティは厳しいようにも思いましたが、そのことで子どもたちの安全が守られているわけで、滞在していて安心感は感じました。と言いつつ、廊下の天井の電気工事を柵も注意書きもなくやっているのを見ると、危なくないのかな、と心配になりましたが。

 構造的には、ホールが家の家庭のリビングのような位置づけで、その周りに年齢に合わせた個室がある、みたいとも思えるけれど…そうですね。全体の印象は「家庭的な学校」みたいな感じでしょうか。本を探したり、読む場所であるけど、もうちょっとアクティブな雰囲気。アカデミックな場所だけど堅苦しさはあまりないですし、明るいですし、私は居心地がよかったです。


 そして、今回の図書館見学で来てなんだかとても嬉しかったこと、それは、同行していただいたMさんが、今回来てみてとてもいい場所なので、今度は必ず子どもと来たい、と話してくださったこと。そう、きっと親子で、家族で楽しめる「場所」になると思いますね~。カフェだってありますし!






2015年9月28日月曜日

カランダーシのロシア旅③(メトロでモスクワ動物園)

美術館?
 地下鉄(メトロ)の乗り方を教わって、その日はひとりで動物園に向かったわけです。モスクワのメトロは便利。きっと慣れれば。まずは、どこの駅の地下構内もあたかも宮殿か、美術館かと見まごうような造りになっていて、立派な彫刻や絵画が飾られていて驚かされます。でも、電車は一切の装飾のない、殺風景な乗り物です。年中そうなのか知らないけれど、窓を開けて走るので音が結構うるさい。その爆音道中の車内放送も、駅構内の表示もぜーんぶロシア語のみ。ホント情け容赦ない。スリに注意などの予備知識も頭をよぎるし、緊張の路線乗り換えをクリアして、なんとか目的の駅に着いた時にはもう、ぐったり。

 でも、地上に出て、動物園の外観を見たとたん、ああ、来てよかったと思いましたね。なんと、入場門の前の電柱は、キリン模様。これはいいな。入場料は400ルーブル。さあ、動物園見学のはじまりです。


 ロシアに来たら、動物園に行きたいというのは結構計画当初からありました。理由は、いくつか。ロシア絵本の仕事をしていて、ロシアの子どもや家族の様子を知りたいなとずっと思っていて、それがよくわかりそうな場所だということ。そして、ラチョフやロジャンコフスキーなど動物挿絵の名手が修練の場所として動物園でのスケッチをあげていることを知り、場所は違うにせよ、ロシアの動物園という場所を見てみたかったというのもあります。(ラチョフ氏宅訪問で、ラチョフ氏が実際にこの動物園に来てスケッチをしていたことがわかり嬉しかったな)まあ、外国の動物園、その動物園にいる動物ってどんな感じなのかなっていう単純な興味というのももちろんあります。

 
さてさて、まず目に飛び込んできたのは、水鳥たちの大きな大きな池。その周りを巡る感じで動物を見て歩きます。で、わりと最初に、日本猿のサル山がありました。国が違えども、日本猿といえばサル山なんだと思った次第。おや、下の方のバックヤードへの出入り口がオープンになっていますね。いつでも、下山して身を隠せるようになっているようです。
 
最初の方は鳥類が多いです。木を植え、なるべく自然に近い環境を考えているようです。そして、面白かったのが、きつねさんたち。飼い犬のように人なつっこくて、寄ってきます。小屋で寝ているきつねは何やら寝言を言っているし。
寝言きつね

 
園内には、ぬいぐるみや絵葉書を売っている売店、それから軽食の売店があちこちにあり、いつでも一休みできるようになっています。ウィークディでしたから、お客さんのメインは、学童期前の比較的小さな子どもと、母親、そして、おじいちゃんとおばあちゃんたちです。「見て、見て」と歓声を上げながら目を輝かせる子どもたちを、にこやかにカメラに収める親の姿。これは万国共通ですね。子育て真っ只中の素のままの家族の姿を間近に見ることができる、動物園見学はよい選択だったと思います。そこには、結構がんばっているおじいちゃんやおばあちゃんの姿がありました。そういえば、祖父母世代が若い世代を助け、子育てを応援するというのは、母親でも働くことが当たり前のこの国でのごく普通の姿だと聞きました。こうやって3世代で動物園を楽しむ姿の中に子育ての事情も垣間見えるではありませんか。
王宮?象が小さく見えます

こんにちは!
 
動物たちはというと、驚いたのはいくつかの動物たちの家!です。まずは、象。王宮みたいな外観の、予想を超えた大きさを誇る象舎にびっくり。お庭もかなり広く、砂がしいてあり、水遊び場もついています。象舎の全てが象のスペースではないのかもしれませんが、この大きさは…。もしかすると、寒く長い冬の間、象舎の中だけで暮らさないといけないので、広いのかな。きっとそうですね。そして、ロバのお家。狼のお家。お家にばかり目が行ってしまいました。いずれもなかなか立派でした。

おしゃれなろばの家
 
キリンはぐっとこちらに寄ってきましたし、熊も友好的?でした。それは、嬉しいと思える出来事でしたし、なんだか、ありがたいことだとひとりぼっちの旅行者の心は和んだのは事実。動物の居住スペースを悠然と横切る猫、初めて見たこれまた野性の白黒カラス、突然の雨。そのどれもが旅の大切な思い出として胸に残っています。

 
スタンドでホットドッグと温かい紅茶を買ってお店のそばのテーブルで随分遅い昼食。しばらくして、親子連れがすぐ前に座りました。小さな女の子と目が合うと恥ずかしそうに微笑んでくれました。かわいいなあ。もう二度と会うことはないだろうこのこの子には「元気でね」と心で挨拶をしてそろそろ…
狼の丸太の家



 あ、忘れてました。この動物園のシンボルのご紹介をせねば。ロシアではあちこちで銅像を見るけれど、このあらゆる動物たちの銅像タワーの存在感は圧巻。で、よく見ると、騎士やロシア伝説の山姥、バーバヤガーのお家まで。すごい世界観。これは何か文献でもあったら詳しく読んでみたいかな。

 
実は今回、動物園の半分しか見ていないのです。さらに奥にも広い広いスペースがあるとは知りつつ、次にも行く場所があったので、また来たいなという気持ちを置いてモスクワ動物園にさよならしました。

 
とても楽しい動物園見学でした。残念ながら?スケッチしている人は見かけませんでしたが。

シンボルタワー
 













2015年9月23日水曜日

カランダーシのロシア旅②(ラチョフ氏宅を訪ねて)

※以下はラチョフ氏の著作権所有者トゥルコフ氏の許可をいただいて書かせていただきました。

ラチョフ氏の仕事場だった部屋
モスクワに来て2日目。絵本「てぶくろ」や「マーシャとくま」などの画家、故エフゲーニ・ラチョフ氏の仕事場を訪ねた。カランダーシが絵本「うさぎのいえ」を出版してから2年。遅ればせながらのご挨拶が目的だ。そして、この訪問は、ラチョフ氏をより深く知る大変意義深いものとなったと思う。それと、これは余談めいた話になるのだが、この訪問にはちょっとした後日談があり、そのことも含めとても印象深い思い出となっている。

 9月といえども、ロシアはすでにもう寒かった。気温は16度あたり。コートを着て、薄手のマフラーを首にまいて轟音と共に地下鉄を降り立ったのは午後の2時。ラチョフ氏の息子であり著作権管理者であるトゥルコフ氏がにこやかに出迎えてくれた。メールではたくさんやりとりはしてきても、お会いするのは初めて。まずはご挨拶。お会いできた喜びを伝える。地上の街に出てしばらく、背の高い近代的なオフィスビルがあり、大きな通りにはたくさんの車が行き交っている。トゥルコフ氏は、建物の裏手の静かな道を選んで自宅まで案内してくれた。

壁に飾られた作品
 ソ連時代、芸術家のために建てられたという煉瓦作りの重厚な集合住宅。一階には展示会もできるスペースがある。無骨なエレベーター、人の気配を感じない廊下。古い石の建物のひんやりした空気感にちょっと怖気づく。でも、ご自宅の扉を開けて招き入れられたとたん、棚に飾られているラチョフ画の絵の動物たちが目にとびこんできた。「ああ、こんにちは!」一気に気持ちが緩む。

 通していただいた、ラチョフ氏が使っていた仕事場をそのまま使っているという部屋には、大きな窓があり、部屋の中心にラチョフ氏が仕事をしていたというどっしりとした机が置いてあった。その背面や窓側の壁面の本棚には、ラチョフ氏の手がけた本がたくさん並んでいる。カランダーシ刊の「うさぎのいえ」も表紙を見せて飾っていただいていた。恐縮。でも嬉しい。

 通訳をお願いしているMさんを交えて、まずは、その大きな机の上に積み重ねて置いてある本を見せていただいた。次々とページをめくる。ああ、このお話、知っている!これは、どんなお話なのかな。このねずみのお話は面白そう。絵本は一瞬で読み手の心を掴み、異国から来た緊張気味の旅人の胸襟を開かせてくれた。

迫力のある動物描写
 どこの何の話がきっかけだったのか覚えていないが、ラチョフ氏の生い立ち、生涯についてのお話を、温かい紅茶をいただきながらうかがうことになった。幼少時、シベリアの祖母に預けられたいたが、14歳の時、ひとりはるばる母のもとまで列車の屋根に乗るなど苦労して帰ってきたこと、その時助けてくれた兵士のこと、15歳で港で働きだしたこと、チフスにかかったこと、その後、芸術の道を歩み始めたこと、戦争で前線にいたけれど戻され、芸術家であることから新聞の仕事をしていたこと、軍での昇進は望んでいなかったこと、そして終戦。この世で一番恐ろしい動物は人間であると思ったということ。(シベリアで野生の動物のすぐそばで育ったラチョフ氏。一般人よりも動物の恐ろしさや狡猾さなどを知っていたはず。そのラチョフ氏が言ったこの言葉は重い)
 
 知っている話、知らない話、両方あった。でも、トゥルコフ氏はそれはどっちでも構わなかったのだと思う。父親の作品だけではなく、生きてきた人間としてのラチョフ氏のことをよく知ってほしいという思いが伝わってきた。

 トゥルコフ氏は、ラチョフ氏と血のつながりはない。母親の再婚相手がラチョフ氏であり、兄弟がいたが、亡くなり、子どもたちは独立して他で暮らしており、今はひとりでこの家に住んでいるという。地上の大きな通りではたくさんの車が行き交っているが、この部屋にはその騒音は届いてこない。昔からきっと変わらない静謐な時の流れを感じる。芸術家である父親の仕事を包んで支えたであろうこの静けさをトゥルコフ氏もまた愛しているのだろうと思う。そう、ここに来る時、騒がしい道を避けていたことからもそれはうかがえる。

 トゥルコフ氏はラチョフ氏に「一度も、どなられたことはない」そうだ。優しい人だったと言う。そして、仕事への真摯な取り組みをつぶさに見ていたので、言うことをきかざるをえなかったと語ってくれた。それは、具体的にはどういうことなのか。ある質問をしたことで、よく理解することができた。

 それは、動物描写についての質問だった。「ラチョフ氏は何か写真や絵のようなものを見ながら、描くということはあるのですか」とたずねたのだ。それに対してトゥルコフ氏は「いいえ、手で覚えているからそんなことはしません」と答えた。

 手で覚えている。それは、何度も何度も描いて修練を重ねることにより、手が覚えるので、動物のどんな動きでも(何も見ずに)描くことができるということ。対象の骨格、筋肉、毛並み、眼差し、そして感情までもが描いた時に「本物」であるために、手で覚えるまで、描きこむことなのだ。動物挿絵画家の第一人者の真髄。才能だけではない、そのひたむきな仕事への姿勢を、トゥルコフ氏は傍らで見てきたのだ。

目を見張った挿絵
 そして、今回、私は、今まで知らなかったラチョフ氏の作品を見る幸せに恵まれた。ひとつは、アヴァンギャルド的表現をしていた頃の絵。抽象化された表現はしかし、ラチョフ氏の本来の個性を生かすものではなかったのだろうと感じた。それから、今回の訪問で最も印象に残ったのは、彩色のない緻密な線画の挿絵の仕事。特にこの一枚。生きている動物をそのまま絵に閉じ込めたような、瞬間を見事に表現していて圧倒されてしまった。

 ラチョフ氏のこういった挿絵の仕事の中で、最近再評価され復刻されたものを見せていただいた。珍しいSFを手がけた挿絵だ。そこでは、恐竜も描いていて、それがまた素晴らしいのだ。動物民話の挿絵とはまた違った絵の表情を見ることができたのは発見だった。

 話は尽きなかった。(部屋に飾られている流木アートについても少し話しをうかがったが、このブログではまた別の機会に。)でも、おいとまをする時間となり、玄関へ行き、コートを着た。挨拶をかわし、私とMさんは大きな煉瓦作りの建物を出て、地下鉄の駅に向かった。そして、しばらくして、私はマフラーを忘れたことに気づいたのだった。電話をして引きかえすと、途中まで、トゥルコフ氏がマフラーを持ってきてくださっていた。

「忘れ物をするということは、またその場所に戻ってくることを意味します。また、あなたはまたここへ来るでしょう」という言葉に私は肩をすくめ、お詫びをし、再度さよならをして帰路についた。今回の訪問。すでに亡くなっているラチョフ氏とは会えないのは仕方がないのだが、トゥルコフ氏の端正で温厚な佇まいから父親ラチョフの姿を充分に感じることができたと思っている。

恐竜もリアル
 さて、マフラーを忘れる。これは、反省すべき不手際。でも、このことは私にとって忘れられないエピソードとなった。で、ここからは、冒頭文に書いた余談の話。2年前、私はある出版物に、ラチョフ氏の絵本を出すことによって、あの「てぶくろ」の最後で散り散りになった動物を呼び戻したいのだ、みたいなことを書いた。随分観念的な話だ。そして、書いたそのこと自体も忘れていた。けれでも、マフラーを忘れたことをきっかけに思い出したのだ。

 そして、私は、動物たちを呼び戻すことが(想像の中だけど)できたと思っている。

それは、マフラーを何故忘れたんだろう。などと考えてきたときふっと降りてきたイメージなのだが、ある絵が鮮明に脳裏に浮かび上がったのだ。それは、私の忘れたマフラーにあのラチョフの描いた「てぶくろ」の動物たちがくるまっている絵だ。私がマフラーを玄関に忘れて家を出てから、トゥルコフ氏がそれを持って出て行くほんの短い間、あの動物たちが次々にやってきてマフラーにくるまっていたであろうという想像!

 そう。これはイメージの話で、とても個人的な感覚の話。でも、私は散り散りになった動物たちを一瞬呼び集められた暗示をもらった気持ちでいるのだ。随分手前勝手な話だけど、これもひとつの旅の贈り物であると思うことにした。





 


 

2015年9月19日土曜日

カランダーシのロシア旅①(旅の始まり)


こんにちは、モスクワ!
 初めての一人旅。初めてのロシア。このふたつの組み合わせは、ちょっとどうなんだろっていう思いを抱きつつも、急に出版を決めた絵本「わいわいきのこのおいわいかい きのこ解説つき」制作作業に忙殺された夏が過ぎようとする頃、印刷会社に何とかギリギリでデータを渡し、あわてて大きなトランクに荷物をぶちこんで、私は成田からモスクワへ飛び立ったのでした。

 で、旅行を終えて感想をひとことで言うと、「行ってよかった」に尽きます。でも本当、勇気、絞り出しましたという感じ。往きの飛行機では、映画「マッドマックス 怒りのデスロード」を観ていたのだけど、途中、張り詰めている気持ちを揺さぶるようなドキドキ感に耐え切れず、刺激の少なそうな「脳内ポイズンベリー」に変えたくらい。でも、帰りの飛行機では「マッド」の続きをすんなり観られたんですね。ロシアにいる間、緊張はずっとしていたのだろうけど、それに勝る好奇心と興奮に導かれ、経験値を上げ、少しはたくましくなったのかもしれません。

機内食は往きも帰りも全て完食
 以前から仕事柄、いつかはロシアへ行く希望はもっていたのですが、現実的に旅への背中を押してくれたのは、私のロシア語の先生ですね。ロシア在住の経験から以前からロシアの魅力や面白さを教えてもらってはいたのですが、ぼんやりしたロシアへの憧れをどんどん具体的なプランに置き換え、現地での強力な助っ人まで紹介してくださるにいたり、もう行くしかないと心を決めたのでした。いわゆる集団のツアーでは行かないようなところにしか関心がない、ちょっと変わった旅人がこうして誕生したのでした。そう、そして、家族の理解と応援!心配しながらも私を強力サポートで送り出してくれました。

 カランダーシの初ロシア旅。旅の計画の柱のひとつは「うさぎのいえ」の画家ラチョフ氏代理人へのご挨拶。ひとつは商品の仕入れ。ひとつはロシアの子どもと子どもの本事情を知るための場所へ行くことなどでした。そして、「きのこ狩り」という夢のようなプランが、現地での強力なサポーターを引き受けてくださったコーディネーターMさんのご厚意で実現できることとなり、ロシアの森ときのこを楽しむ、という素敵な計画が加わったのでした。

 さてさて、モスクワに着き、迎えに来た時速100キロ超えなんて当たり前なタクシーの後部座席には見回してもシートベルトはなく、躊躇ない強引な車線変更や割り込みにおののきながら「これがロシアか」と思った次第。外を見ると日本車率高し。そして目に飛び込んでくる白樺の林!林!林!


きのこの棚
 ホテルでは、先生と練習した「チェックインの会話」を行使して、パスポートもすぐ返してもらえたし、朝食の時間も教えてもらったし、6階の一番隅っこの部屋に着いた時にはホッとしました。と同時に一瞬すごいホームシック感に襲われたのも事実。

 でも、夕方早い時間だったので、私は果敢にも?フロントへ出かけ、近所のスーパーマーケットの場所を聞いて出かけたのでした。どんな場所に行っても、その地のスーパーや市場を見るのが好き。そういう場所に行けば、その地の暮らしぶりに触れられてぐっと親近感が増します。ホテルから5分の場所にあった複合ショッピングセンターの地下の食品売り場は、私にとってロシアでのファーストわくわくワンダーランドスポットになりました。

 そう。全ての棚をゆっくり見ながら、私は自分が随分と旅の緊張から開放されてくるのを感じていました。あ、お醤油や寿司酢だ、あ、おなじみのチョコレートもたくさんある。え、きのこ瓶詰め、缶詰がこんなにあるの?お惣菜も売ってる、いい匂い!家族連れ、ママは仕事帰りかな…。そして、私はロシアで初めての小さな買い物をしました。ケーキの花飾り。これはかわいい!

思わず購入
 夕食は、ホテルのカフェでサンドウイッチとピロシキを選んで、使ってみたかったフレーズ「С собой. пожалуйста.スサボーイ。パジャールスタ(お持ち帰りをお願いします)」でテイクアウト。でも、その後、お店の人に早口でぺらぺら話しかけられたのだけど、それは残念ながらよくわからなかった。後日、ロシア語の先生が言うには「スサボーイという結構慣れた?言葉を知っているから、この人は話しかけても大丈夫と思われたのかもしれませんね」とのこと。そうなのか。ごめんなさい。


 といういわけで、いよいよ次の日から、本格的ロシアの日々が始まるわけですが、バスタブにお湯をはりながら、洗濯ものをごしごししながら、「今、私はロシアにいるんだな、嘘みたい」なんてなんとも不思議な気持ちでいたわけで、ああ、そんな自分が今ではとても懐かしいな。

2015年4月11日土曜日

ロジャンコフスキーさん!


 
※仏時代カストール文庫
ひとりの絵本画家のいくつかの作品をみて、絵の変化に気づいたり、独特のこだわりなどを見つけたりするのは興味深いことです。今回注目したのは、あの「野うさぎのフルー」や「くまのブウル」で有名なフィオドール・ロジャンコフスキー。今度、カランダーシで、彼の描く「さんびきのくま」を入荷することもあり、以前から気になっている画家でもあったので、ちょっと調べてみました。

ロジャンコフスキーはロシア出身です。でも、青年期には混乱のロシアを出て、ヨーロッパ、主にパリで、子どもの本の絵を描きたいという夢を実現させ成功をおさめるんですね。でも、第二次世界大戦開戦にともない、南仏へ逃れ、スペイン、ポルトガルを経て、最終的に小さな貨物船で海を越え、ついには遠いアメリカへと渡ることを余儀なくされます。そう。それはまるで、野原で銃声を聞き、逃げる野うさぎのフルーの姿と重なりますね。

※仏時代カストール文庫
けれども、ロシアにいる頃のロジャンコフスキー(以下、親しみをこめて?ロジャンと言わせてもらいます)は、第一次大戦時と革命時には、兵士として敵と戦う青年だったんですね。つまりは銃を持つ立場ですね。彼が国を出たのは、銃よりも絵筆を持つ人生を望んだと考えることはできるでしょう。混乱が続くロシアから逃れ、若い頃から認められていた絵の才能を芸術の都パリで発揮させる道を選んだロジャン。最初の召集では負傷したそうですから、そのことも人生の方向性に影響しているかもしれませんね。

パリでのロジャンコフスキーの活躍といえば、なんといっても、ポール・フォシュによって創刊されたカストール文庫への参加でしょう!前述のフルーやブウル、そして「りすのパナシ」のお話を初め、フォシュ夫人のリダとのコンビで他にも「かものプルッフ」など、自然と動物の様子を子どもたちに伝える絵本や、「ミシカ」などのお話絵本など、今も子どもたちに愛され続けている優れた絵本を残していますね。

※渡米後の作品
そして、命からがらたどりついたというアメリカ。すでに絵本画家として有名だったロジャンコフスキーは大歓迎されたようです。さあ、そこでアメリカでの作品を見てみると…「THE TRUE STORY OF SMOKY THE BEAR」これは55年の作品ですが、一連のカストール文庫の絵と較べると「変化」が見られますね。テーマはやはり自然と生き物にある作品ですが、特に動物の描き方がちょっと変わったような。パリ時代のカストール文庫の本物の動物ものにおける素朴で飾らない自然のままの動物表現がベースにありますが、熊の目は少し「大きめ」で今よく使われる表現だと、「盛った?」印象かな。キャラクターとしての表情がついていますし、お話の流れではありますが、洋服を着せた「擬人化」も取り入れています。デニムをはきこなして、アメリカナイズされた熊さん!といった感じですね。

※目がパッチリ・着衣・擬人化
フランスでの活躍を評価していた方面からは、渡米後しばらくのこの「変化」をよしとしない意見も出ているようですね。でも、、これが、異国の地で絵筆で仕事をしていくというひとつの現実を示しているように思ったりもします。そして、また、ロジャン自身は、この変化を作家として前向きに「挑戦」として取り組んでいったのではと思うのです。

※コルデット賞
その証拠に、これは、同じく1955年作ですが、「かえるだんなのけっこんしき」で、見事コールデット賞を受賞しています!この絵本の中では、かえるだんなを始め様々な生き物たちが、ロジャンの新しい創造物として命ふきこまれ表情豊かに自在に軽妙に動き回っています。同時代のガース・ウイリアムのような鉛筆のタッチも取り入れていますね。そう、これらは、ロジャンの代名詞ともいえるしっかりとした動物描写の力あってこその表現。さきほどの「変化」を見事「進化」させたともいえるのではと思います。

資料によると、ロジャンの絵本挿絵の原点は、もともとの絵の才能に、高校時代に培われた博物学の素養が加味された自然への興味と愛にあるようです。幼いころ夢中になった動物園でのスケッチ、父親の蔵書のドレ!の作品に魅せられたというエピソードなども、ロジャンの絵の大切な要素でしょう。そんなロジャンですから、世界どこに行っても、その地の自然、生き物に心寄せたに違いないでしょうし、そういう興味が、異国の地を知る助けにもなったのではとも思います。

パリでも、アメリカも成功をおさめたロジャン。もし、ロシアにそのままいたら、うーん、テーマは同じでも、多分違う表現の絵を描いていたんではないかな。そう、独断を許してもらえるなら、「かえるだんなのけっこんしき」のような絵は生まれていなかったように思うのです。

ロシアのチョコの包み紙
※仏時代:熊の親子、白樺
でも、その国や時代のニーズに合わせたり、進化をとげたり、その国の自然描写を取り入れたとしても、ロジャンはやはり、ロシアの画家という印象を私は持っています。100冊以上の作品のうちわずか11冊くらいの絵本を見て何か語るのもおこがましいのですが、全くの極私的根拠というものをあげるとすれば、(変わった見方(こじつけ?)であることも重々承知していますが、ほとんどの絵本に「白樺」が登場するということをあげたいと思います。

※米時代:ナナカマド?とこぐまたち
※ロシア民家?
ヨーロッパだって、アメリカだって、白樺は存在します(日本にも)。ですから、どの絵本にも白樺は登場してもおかしくはありません。うーん、いやいや、でも、と思うわけです、確か白樺という木は私たちが思う以上に、ロシアの人にとって大切な存在と聞いたぞ…そう、日本だと例えば桜のように。(このことはビリービンについてのブログでもふれていますが)忠実なスケッチ画を絵本に使用しているのか、そのへんのことはわからないですが、私はロジャンは意図的に祖国を象徴する白樺を登場させていた、と考えたりするのです。そして、ナナカマドとみられる赤い実のなる木の登場にも「ああロシア!」と思ったり。また、「かえるのだんなのけっこんしき」(この絵本は白樺は登場しない)と、「おおきなのはら」(登場します)では、ロシア民家を彷彿とさせるような挿絵が登場します。

で、ここからは、さらにちょっとおまけ的な話ですが、パリ、米国2冊のくまが主役の絵本の、こぐまたちが森で遊ぶページを見れば、ロシアの有名なチョコレートの包み紙となんだか雰囲気が似ているなあと思ったり。このチョコレートの会社は1850年創業で、熊の親子の図柄はロシアでは昔からおなじみだそう。(私のロシア語の先生が、調べて
くださいました)。いえることは、これらは、Theロシアの森のくまたちのイメージエッセンスが濃厚だということ。もちろん、ロジャンがロシア時代にこのチョコレートを食べていて…とこじつけ的想像は膨むのです。


※白樺、登場します
私なりのまとめになりますが、フィオドール・ロジャンコフスキー…活躍の場は祖国ロシアではありませんでしたが、行った先々の環境やニーズに合わせた表現に取り組む一方、その地の自然を愛し、その風景を絵本の中に取り入れつつも、心の中のロシア、そしてロシアの森を決して忘れなかった画家。という感じでしょうか。

今回は生涯にわたる詳しい資料を探せなくて、特に、アメリカでのロジャンのその後の仕事ぶりの詳しい記載があるものがなかった…。結果、実際のロシアとの関わりや思いなど、今後も知る機会をもてたら嬉しいですね。

 さてさて、そのロジャンコフスキーが描いたもうすぐ入荷予定の「さんびきのくま」はどんな絵本なのでしょう。多分アメリカで描かれたものだと思うのですが、祖国を離れて描く祖国で愛されてきたお話…一体どういう気持ちで取り組んだのでしょうか。

そこに、やはり白樺は登場するのでしょうか。
楽しみです。


追記:ロジャンコフスキーの絵本で白樺探しをするのは楽しいことでした。ちょっと変わった絵本の楽しみ方ではありますが…。植物学的に本当に白樺と分類できるのかは定かではないので、白樺に見える木を探すという表現が正しいですが。






※参考・参照文献
「絵本図書館-世界の絵本作家たち-」(ブック・グローブ社)
「12人の絵本作家たち」(すばる書房)
「ボンジュール!フランスの絵本たち」(イデッフ)
「かものプルッフ」(童話館出版)
「りん らん ろん」(童話屋)
「川はながれる」(岩波書店)
「くまのブウル」(童話屋)
「おおきなのはら」(光村教育図書)
「かえるだんなのけっこんしき」(光村教育図書)
「THE TRUE STORY OF SMOKY THE BEAR」(GOLDEN PRESS」/
「ミシュカ」(新教出版社)
「かわせみのマルタン」(童話館出版)
「りすのパナシ」(童話館出版)

「野うさぎのフルー」(童話館出版)